君の肩に悲しみが雪のように積もる夜には‥」というフレーズではじまる歌があり「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」という言葉ではじまる詩があります。最初は浜田省吾の歌、次が中原中也の詩で、どちらも私が好きな作品です。また「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」と天気予報みたいな歌もありますね。これらはいずれも悲しみを雪で表現しています。
なぜ悲しみが雪なのか、それは人知れず静かに深々と降り積もる真っ白な雪が、あまりにも美しく、心が震えるほど切ないので、悲しみという感情が何となくしっくりくるからでしょう。もっとも東北地方や北海道の方々にとっての雪は悲しみというよりある意味、絶望に近い辛さや恨めしさだったりするのかも知れません。
生きていれば、嬉しい事や悲しい事に出会います。嬉しさを一度も経験した事がない人はいないし、同じように悲しい思いをした事がない人もいません。悲しい経験をすることはとても辛い。その辛さは美しさの中に残酷さを秘めて降る真っ白な雪に似て深々と私たちの心に降り積もる。しかし、その雪もやがては解け、すき透るような雪解け水が心に流れ、春を迎えた嬉しさと変わっていきます。絶望が希望に変わるように。
いま私たちが直面している苦しみは何か‥。それは言うまでもありません。降る雪のようにいったん止むものも、また降ってくる。そして降り積もるたびに世の中の色を消し悲しみの白い闇に覆いつくしてしまう。
しかし、私たちはその絶望しそうなほど降り続く雪を何としても克服しなければなりません。夜明けが来ない夜はない。あしたは明るい日と書いて明日。暗闇の中だからこそ見える光もある。雪のように降り続く悲しみが解ける春はきっと‥もうすぐそこまで来ています。
「ふたつよいこと さてないものよ」
我々の日常生活というものは、ラッキー!!と小躍りしたかと思えば、ガーン!!とショックを受けて奈落の底に沈むこともある。まさにその繰り返しではないでしょうか。予想もしない嬉しい出来事もあれば、まさか…と絶句するようなつらいことや悲しい出来事も必ずやってきます。冒頭の言葉は、一度にふたつよいことはない。という意味ですが、それが世の常人の常。まさに「人間万事塞翁が馬」ということですね。
しかし「ふたつよいこと」がないのなら「ふたつわるいこと」もないのでありまして、その時はつらいと思っても、後になれば「そのお陰で今の自分がある」と思えるとしたならば、悪いことも良いことの前兆と言えます。どんな暗闇の中にも一縷の希望の光がある。私はそう信じています。しかし、責任転嫁や自暴自棄に落ち込むと希望の光は見えてきません。ですから、つらいことや悲しいことに遭遇しても逃げることなく、しっかり受け止め、その中にある一筋の光明を見つける眼を持ちたいものです。
さらに言うなら「ふたつよいこと」を求めない。欲張らないことも大事なことでしょう。人間の欲望は放置すれば際限なく拡がっていきます。行き着く先には、二つどころか三つも四つも悪いことが続く最悪の状態が待っているかもしれません。
「足るを知る」という言葉がありますが、人はあらゆるものを求めすぎた時から道を誤ると言われます。無理して求めればそれと同じくらいの大切な何かを失うという生き方のバランスを意味しています。つまり「あれも欲しいこれも欲しい」ではなく「あれが欲しいからこれは我慢」という欲望選択ライフを送ることが「ふたつよいこと さてないものよ」の真髄のようです。
「情けは人のためならず」とは、人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる。という意味で、人に親切にすることは、その人のためにならない。という意味ではありません。
これを「保育は子供のためならず」と言えば、子供たちのために日々、身を粉にして保育を行うことが、ひいては保育者の保育力を高める結果となる。私は常々、そのように考えています。
同じく「笑顔は人のためならず」と言えば、もうお分かりですね。笑顔は、まわりにいる人の心をほぐしてくれると同時に、自分自身も幸せな気分にしてくれるのです。試しに、あなたのまわりにいる家族や友人、仕事仲間の笑顔を想像してみてください。そしたら‥ほらっ!気がつけば、いつの間にか、あなたもニッコリ笑顔になっていませんか。
私はよく幼稚園や保育園の先生たちに「笑顔上手になりなさい」と言います。何故なら、人は誰しもすばらしい笑顔を持っており、笑顔がさえない人なんていないからです。イカ飯のように、厳めしい顔をしたオジサンだって、笑うと結構かわいいじゃ~ん!なんてこともよくある話デス(^^ゞ。
テレビキャスターのなかには、玄関先に鏡を置いて、毎日ニコッと笑顔をチェックして出勤する人だっているそうですが、それはテレビに映る仕事だからだけではなく、そうやって出掛ければ、通りに出ていきなり「こんちくしょー!!」とはならないから‥なのかな。(笑)
そして「泣き笑い」という言葉の「泣き」は「ひとり」でも絵になりますが、「笑い」は「ひとり」より「みんなで」の方が楽しくなります。「ひとり」で笑っていると、時としてちょっと不気味に見えることもありますからね。令和4年が多くの皆様と共に笑顔いっぱいで過ごせる年となることを願ってやみません。
あれは朝晩の冷え込みが厳しくなり始めた11月下旬ごろだったと思う。その日の夜中に、のどの痛みで目が覚めて、薬を飲んで寝たが、翌朝には発熱してしまい、仕事を休んで療養することにした。
ベッドに入り数時間後、どれぐらい寝たのだろうと思いながら時計を見ると、午後4時を過ぎており、朝から何も食べずにいたので、さすがにお腹が空いた自分に気づき、重たい体を引きずりながら台所に立った。
こんな時はお粥と梅干に限る。と思いながら、火をかけた鍋をボーっと眺めていると、突然、玄関のドアが開く音がした。「ただいまーっ」声と同時に、次男が学校から帰宅して勢いよくリビングに入ってきた。
「おかえり」と言う私と目が合うと、開口一番「お兄ちゃんは?」という問いに「まだだよ、お母さんもね」と答えた私の言葉を聞いた次男がポツリと言った。「ふーん、じゃあ、誰もいないんだ‥」
おい、息子よ。「誰もいないって‥‥」お前の目の前に立っている俺は幽霊か?確かに風邪を引いて、顔色も悪く、ぼさぼさの髪で突っ立てる私は幽霊みたいに見えるかも知れんがな‥。言いたい言葉を飲み込んでいる私に、さらに息子いわく「で、何でお父さんがいるの?」あのな、息子。お父さんがいちゃいかんのか?お父さんはな、風邪を引いて寝込んでいたんだぞ。弱り切った父親に「何でいるの?」はないだろ‥。「バカヤロー!」
と叫んだ時に目が覚めた。混乱した頭を整理するのに数秒。夢だったんだ‥。と気づくと同時に玄関のドアが勢いよく開き「ただいまーっ!」の声がして次男が部屋に入ってきた。そして開口一番。「お父さん、風邪、大丈夫?」「何とか大丈夫だよ」と返す私の声は、鼻の奥がツーンとして、涙声になっていた。
母の焦ったような声で跳び起きたのは午前7時を少し回った時で、起きなきゃいけない時間をすでに30分以上過ぎていた。
「どうして起こしてくれんかったとっ!」怒鳴ると同時に怒りが一気に込み上げてきた。
「ごめんなさい」
「お母さん、昨夜から頭が痛くてあまり眠れなくて‥」「目覚ましに気が付かなかった」「ごめんね‥」
「もういい!」困ったような母の目を逸らしながら、どたどたと洗面所に向かう。後追いする母に聞こえるような声でさらに罵声を浴びせながら何とか準備を整えて靴を履く。「おにぎり握ったけど、持っていかない?」後ろに立つ母の声を無視して玄関を飛び出した。自転車に跨る時にチラッと後ろを振り返ると、おにぎりを手に、どうしていいかわからないような顔をした母の姿が見えた。それが生きている母を見た最後だった。
その数時間後、授業中に母が交通事故で亡くなったと知らされ、病院に駆けつけた時、母は二度と目を覚まさない眠りについていた。頭痛がする中、ふらつく足どりで買い物から帰る途中、車に撥ねられ、即死に近い状態だったそうだ。あたりに散乱した買い物袋の中身は僕の好物のすき焼きの具材。そして、新品の目覚まし時計だった‥。
もしも、あなたが最愛の人に「行ってきます」と言うのが最後だとわかっていたら‥。
あなたはどうしますか?最愛の人と「いただきます」と食事をするのが最後だとわかっていたら‥。最愛の人と手の温もりを感じながら歩くことが最後だとわかっていたら‥。
どうでしょうか?
今日やり残したことや見過ごしたことも明日が来ればまた出来る。明日が必ずやってくるなら今日ケンカしても仲直りが出来る。でも、私たちは知らなければいけません。最愛の人と過ごす明日が来ない日が必ず来ることを‥。それは知るというよりも、残酷な形で突然思い知らされることかもしれません。ならばこそ、二度と来ない今日、そして、このひと時を大切に、師走の日々を過ごしていきましょう。