あすなろコラム

~許すということ~ 2025.12.01

間違いを犯す自由がなければ、自由は持つに値しない―――

この言葉は、不完全な存在ゆえに「間違い」を犯し、傷ついては苦しむ私たちを、あたたかな眼差しで優しく包み込む「ゆるし」の力を持っています。

 

たとえば、あなたの左右の肩に天使と悪魔がいて、それぞれが「こっちよ‐こっちへおいで‥」と囁いたとき、どちらが天使で、どちらが悪魔かは、意外とわからないものです。つまりは、標(しるべ)のない道を手探りで進んで行かねばならないとき、右か左か、上か下か‐いったいどちらが正解か‐わからないとするならば、どの道を選択するかは、その人の自由であるべきで‐「正しかった」「間違いだった」は、ひとつの結果でしかないときだってある――ということです。

 

人は間違いを犯すし失敗もする‐いやむしろ間違いや失敗から、さまざまな学びや教訓を得て成長をする生き物なのです。なかには、身勝手なエゴや自我に染まったあらゆる欲に目がくらみ罪を犯すこともあるでしょう。絶対に許せない‐絶対に許されるべきではない、そんな罪を犯す人だっています。

 

今から45年前の1980年12月8日、ニューヨークの高級住宅街ダコタハウスで事件は起こりました。ジョン・レノン殺害のニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡り、一瞬にして最愛の夫を失ったオノ・ヨーコさんは、当然ながら犯人を絶対に許せなかった。当時を振り返ったとき、彼女はそう口にしては、誰も救い出すことのできないほど深い悲しみの底に沈んでしまいます。皆さんも経験あると思いますが「絶対に許せない」という感情はとても強固な存在で、ちょっとやそっとで、どうなることではない。しかし、そんな彼女の心を救ったのは「ゆるし」だったのです。

 

いくら人を責めても憎んでも恨んでも、悲しみや苦しみからは決して逃れられない。そこで彼女は祈ったのです。-Bless you-あなたのために私は祈る。好きな人のみならず嫌いな人の幸せをも祈る。そして気づきました。祈ることで、いつの間にか自分の中の悲しみや怒りが消えていき‥人のために祈ることが、自分を救う祈りになっていたことに‥。そこからはじめてすべてを「ゆるす」気持ちが芽生えていったことに‥。犯した「罪」は「罰」ではなく「ゆるし」という形で「負」から「正」に浄化する。もちろん、犯した過ちは、自ら償い改めなければならない。孔子の言葉を借りるなら「過ちを改めざる、これを過ちという」の通りです。しかしどんな「過ち」もそれを改めようとしたとき、本人の努力はもちろんですが、最後に求められるのは、あたたかな眼差しで優しく包まれた「ゆるし」の心ではないかと私は思います。 ―「ゆるす」ことで過去は変わらないけど、未来はきっと変わる―

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~Pay it forward~ 2025.11.01

~世の中には目に見えるものと見えないものがある。たとえば、ある人が胸に抱いた「思い」は目には見えないが、その「思い」が行為になったとき、はじめて「思いやり」として相手に伝わる~

 

2014年、アメリカフロリダ州のスターバックス店舗でこんなことがありました。ドライブスルーの利用客が、次の客にアイスラテのトリプルグランデをおごったことがきっかけとなり、後続の利用者にコーヒーをごちそうする「善意のリレー」のバトンがつながり、店長さんいわく、このリレーはおよそ11時間にわたって続き、ごちそうされたコーヒーの数は、なんと457杯にも達したそうです。

 

「恩返し」という言葉がありますが、これは、ある人から授かったご恩をその人に返す‐いわゆる「ご恩のキャッチボール」のようなもので、むかし話でいえば「鶴の恩返し」が有名ですね。しかし、授かったご恩を相手に返すのではなく第三者に送る(贈る)「恩送り」という行為もある。それを「ペイ・フォワード‐Pay it forward」といいます。

 

じつは、このスタバの出来事からさかのぼること十数年前に「ペイ・フォワード 可能の王国」というアメリカ映画が公開されましたが、この映画を観た人が、時をこえて、スタバの「善意のリレー」を思いついたかどうかは別といたしまして、映画の中では、中学生の主人公が授業中に先生からこんな質問を投げかけられます。

 

「もし君が、自分の手で世界を変えたいと思ったら・・何をする?」

 

そこで彼は、黒板に図解を交えながらこう答えて先生や生徒たちを驚かせます。「善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の三人に送る(贈る)。そうすれば、ひとりの善意が三人に、三人の善意が九人に‥という具合にどんどん広がっていき、きっと世界は変わると思う」そして自ら実行に移しますが‥なかなかうまくいかず「これは失敗だったのでは‥」と思い始めたところで奇跡が起こります。なんと彼の知らないところで善意のバトンが人から人へ次々と受け継がれていったのです。

 

もし、この発想が悪意に満ちていれば犯罪につながりますが、善意に満ちていれば生きる力や喜び、そして未来への希望を繋ぐリレーになる‐と私は思います。なぜなら、生きることは誰かに借りをつくり、その借りを返すこと。誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげること。それが人の生きる道。-人はひとりでは生きていけない、誰もひとりでは歩いていけない‐からなのです。

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~伸びしろ~ 2025.10.01

‐「可能性は無限大」‐誰もがこの言葉を一度は耳にしたことがあると思います。だから人は目標に向かって日々コツコツと努力し続ける。結果が失敗に終わったとしても、それはあくまでその時点までの結果であって、諦めないでいるかぎり、目標達成の可能性はまだまだ続く。それが「無限の可能性」という意味だと私は思います。

 

今年8月に日本人として初めてアメリカ野球殿堂入りを果たしたイチロー選手が小学6年生のころ書いた作文「夢」はあまりに有名ですが、彼は殿堂入り表彰式のスピーチでこのような話をしました。

 

『今、もし作文を書き直せるなら、「夢」という言葉ではなく「目標」という言葉を使うでしょう。「夢」は必ずしも現実的ではありませんが「目標」はどうすれば到達できるかを深く考えれば実現可能なものだからです。

 

そして「夢」を見ることは楽しいことですが「目標」を持つことは困難で挑戦的です。「何かをやりたい」だけでは足りません。本気でやるつもりなら、どうすれば達成できるかを真剣に考え実行しなければなりません。私は作文の中で「プロになるには毎日の練習と準備が大切」と書きました。それは目標を定めて努力する中で「継続こそが成果の土台になる」ということを学んだからです。

 

ですから若い選手たちには、大きな「夢」を持ってほしいと思います。そして同時に「夢」を「夢」で終わらせるのではなく「目標」にするすることが大切と伝えなきゃ「えっほ、えっほ、えっほ!」』

 

「為せば成る‐為さねば成らぬ何事も-成らぬは人の為さぬなりけり」と言った上杉鷹山や「失敗を失敗のままで終わらせれば失敗、成功するまで続けることができれば、それは失敗ではなく成功です」と言った松下幸之助。このふたりも諦めない気持ちの中に無限の可能性があると説いています。

 

そしてイチロー選手のスピーチを聞いて私が気づいたことは、最初から「伸びしろ」のある人なんていないということです。伸びしろとは目標に向かって努力する中においてのみ存在する。加えて謙虚な姿勢と自分を信じる心、諦めない気持ちがあれば、野球に限らず、あらゆる世界で挑戦し続けている人の可能性は無限大で、伸びしろのある人とは努力することにおいての「天才」なんですね。

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~老いについて~ 2025.09.01

「老を敬う日」を迎える月なので今回は「老い」について語らせていただきましょう。それにしてもまだまだ暑い日が続きますが、この暑さも「あらら?どうしちゃったの?」てな具合に、そのうち涼しくなり、寒くなる。- のと同じように、人も生きている限り必ずいつかは「老い」を迎えるわけで、それはまさに「あの頃の私に戻りたい」と思っても二度と戻れない「さらば青春の光」なのです。

 

などと言えば「何それ?それじゃ身も蓋もないじゃない!もうプンプン!」と毎日入念に、ムダな‥もとい!!ムダなくお手入れをされている数多の淑女に怒られるので「永遠の青春」は無理としても「老年期は子供に還る」と言われるほど愛しい笑いと涙に満ちた「老い」の世界をご堪能ください。

 

ある病院での認知症検査です。医者「よく来てくれましたね。ここがどこかわかりますか?」患者「・・・・」医者「えっと‥おじいちゃん、ここはどこですか?」患者「・・・・」そこで医者は正面から、おじいさんの足にそっと両手を添えて「おじいちゃん‥ここはね」と言った刹那‐患者「ひ、ひざ‥じゃ」

 

食欲がない‥そうつぶやく母は近頃めっきりやせてしまった。「ちゃんと食べて、ほらっ、あとひと口でいいから‥」「ありがとう‥でもね、わたしも‥そろそろお迎えがくる‥だから‥いらない」「なに言ってるの‥縁起でもないこと言わないで‥」と深いため息をつく私・・・その刹那‐「ピンポーン!」「おはようございまーす!デーサービスですぅ!」「えっ‥?お迎えって、そっちかーいっ!」

 

ある日、古い箪笥の引き出しの中を整理していた私は思いがけないものを見つけた。それは認知症を患い入院中の母が書いた手紙だった。「いつの間にこんなもの‥」と思い封筒を恐々開いてみる。そこには震えた文字で綴られた一文が‥「ご、め、ん、な、さ、い・・もう・・なにも・・わからない・・」

 

文字の震えは高齢の母がおぼつかない手で書いたからだけではない。私の目から溢れる涙が文字を揺らしていたのだ。物心が付いたころからずっと二人暮らしだった。女手一つで私を育ててくれた母だった。母の手はいつもふっくらして温かかった。それなのに‥そんな母の手を私は放してしまったのだ。いたたまれぬ思いを胸に、すぐさま母のもとへと駈けつけた。秋晴れの中、ちょうど車椅子で散歩中だった母を見つけて、そっと手を握る。そして‥「母さん‥手紙が‥母さんが書いた手紙が‥箪笥の引き出しに‥。母さん、ぼくこそ‥この手を放して‥ご、ごめんなさい‥」涙声の私に母はかすかな笑顔でゆっくりと首を横に振る。その顔を‥よく見ると‥‥えっ?!あれっ?母じゃない‥。

「あっ、す、すみません!人違いでした‥」花壇では秋桜が吹く風にやさしく揺れて微笑んでいた。

 

 

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~夏の思い出~ 2025.07.23

夏がく~れば 思い出すぅ~♪ はるかな尾瀬 遠い空~♪

 

というわけでして、夏と言えば - 何といっても、ひと夏の思い出ですよね。

10人いれば10人なりの忘れられない夏の出来事や物語がきっとある。- と私は思います。

 

あれは私が中学生の頃でした。TVアニメ「エースをねらえ」やウィンブルドンにあこがれてテニス部に入部し1年生から中体連という夏の大会にダブルスで出場した時のことです。

 

試合開始直後‐私が思いっきり打った強烈なサーブが、あろうことか前衛で前かがみに構えていたペアのお尻にモロ直撃! 「いてっ!」と言った彼の声、「ポーン!」と大きく跳ねたボール、失笑する観衆‥そして振り向きざま私に向けられた戸惑いと悲しみ‥やり場のない怒りが混ざり合った彼のまなざしは、生涯忘れることのできない夏の思い出として、今でも私の胸にほろ苦く刻み込まれており、そのことを思い出すたびに、ついつい笑いがこみあげて参ります。

 

そして更に昔昔、夏休みに朝のラジオ体操が校区で行われていた時代の話です。その日、胸にMIZUNOとローマ字で名前を書いた服の見かけない子がいたので、さっそく私は親しみをこめて「君‥水野君なの?」と声掛けるも反応はなし。それから数日たった始業日、その彼が転入生として担任に紹介されました。「みんな聞いてくれ。2学期からこのクラスに入ることになった冨田君だ」‥「えっ?!とみた? 水野ちゃうんかーい!」と私は心の声で叫びましたがMIZUNOがブランド名だと知ったのは、その後のことなので、私にとってMIZUNOと言えば、あの日の夏が蘇ります。

 

最後に「真夏の夜の夢」のおはなしをいたしましょう。- 夏休みに入って何もする気がおこらず、日々徒然なるままに過ごしていたある夜、こんな夢を見ました。突然、枕元に神様があらわれ、こう告げたのです。「今のお前はいったい何なんだ、ひねもすホケ~っとしているだけで‥ジョン・レノンがイマジンならお前はヒマジンか?今日で最後 - もし仮に今日でお前の人生が終わるとしたら今の自分を誇れるか?誇れないのなら、今すぐ心を入れ替えて明日に繋がる生き方をしろ。明日に繋がる虹の橋を架けろ。それが“あすなろ”の意味だ」この夢から私は目覚め今を生きています。

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