「光陰矢のごとし」の言葉どおり、早いもので、今年もあと、ひと月で幕引きとなります。この一年を振り返ると、日本はもちろん海外でもいろんな事がありましたね。イギリスのEU離脱には驚かされましたが、アメリカの大統領選のトランプ氏圧勝には、それ以上の衝撃でした。そして最近では、韓国の大統領への国民の厳しい追及などなど・・。
アメリカの大統領選もそうですが、韓国の朴大統領への厳しい追及を見ていて、私は人々が求める「英雄」について、あらためて考えさせられました。ちなみに、英雄とは「ひでお」ではなく、英語で言う「ヒーロー」の話であって、決して「村田だっ!」の村田英雄さんの話ではありませんので、お間違いなきようお願いいたします。
英雄は満ち足りた生活が保障された平和な時代に誕生することはありません。世の中が混沌として、何をしてもうまくいかないという閉塞感や挫折感が蔓延して、まさに出口が見えないトンネル状態。そんな中、人々の不安や不満を受け止め、改革を訴える存在が現れるとするならば、その存在こそが、世の中を救う救世主、変革のリーダーとなり、英雄伝説が始まるのです。
そして今、日本でも戦後の列島改造論を唱え、日本経済成長をその強烈なキャラクターでけん引した田中角栄元首相の書籍が、にわかに売れているらしく、このことが、アメリカほどはないにしても安倍総理以上のリーダーを求めている兆候だとしたら、今の日本は不幸な国と言わざるを得ないかもしれません。なぜなら、不幸な時代ほど、英雄を必要とする。言い換えれば「英雄が必要な時代は不幸である」という定説は世界中の歴史が物語っているからです。
子ども達にとって、ヒーローや英雄は、いつの時代もあこがれの存在であり、いろんなキャラクターがバーチャルな存在として、子ども達に夢や希望を与えています。「大きくなったら仮面ライダーになりたい!」子どもの夢としては、大いに結構ですし、有名なプロスポーツ選手にあこがれるのもいいでしょう。しかし、大人が望むヒーロー、特に政治の世界にそれを求める世の中にはなってほしくないものです。
幼稚園や保育園において子ども同士のトラブルはつきものです。それは人にはそれぞれの自我があり、乳児から幼児にかけての成長過程でこの自我が芽生えるからです。子ども一人ひとりに芽生えた自我は、それ自体けっして悪い存在ではなく、むしろ個人のアイデンティティーを形成するためには、なくてはならないものです。
そして次に大切なのは、その自我を抑制する力です。これはまさに園で出会うさまざまな人間関係において育まれていきます。家庭では体験できない子ども同士の集団生活は自我と自我がぶつかり合うところから始まりますから冒頭のようなトラブルが生じるのです。
しかし、誤解を恐れず言うのなら、そのようなトラブルは、我々にとってむしろチャンスなのです。なぜならそれは子ども達に身に付けてほしい力を教育する機会を与えられたからです。そこで先生は次のような言葉を子どもに伝えます。「相手の気持ちになって考えてごらん」
幼稚園や保育園では子ども達の健やかな育ちを願っています。言うまでもなく、健やかとは心身ともにという意味ですが、具体的には、知らなかったことや分からなかったことが理解できるようになり、出来なかったことができるようになることです。園生活で獲得する言語や数字などの知性、さまざまな遊びや運動で育まれる体力、そして最後に、心身でいう心、つまり人に優しくできることが、その子の知性や体力の土台となって初めて知・情・体の三位一体のバランスが整った健やかな育ちになる。
「相手の気持ちになって考える」つまり「自分がされて嫌なことは相手にしない」子どものみならず大人だって、これをしっかり理解して行動できなければ、豊かな知性や技術、たくましい体力などは空しいものとなるだけではなく、社会の中で様々なトラブルを引き起こす温床となってしまいます。マスコミで報じられる事件の中にもこういったケースは少なくありません。ですから、人間関係において「人に優しくできる」「愛情を与えたり受け入れたりすることができる」園で育まれるさまざまな「出来る」のなかで、これが一番大切だと私は思います。
「早くしなさい!」「何度言ったらわかるの!」「いい加減にしなさい!」
親がよく子どもを叱りつける言葉ですね。もちろん恥ずかしながら私もそうです。
これは子どもを正すために叱っているのですが、子どもには案外、そんな親の願いや思いはほとんど伝わらずに、ただひとりでイライラしている親の姿しか映らないようですね。次のような子どもの詩を見て、あらためてそのことに気づきました。(タイトルは母親ですが母親だけに責任転嫁しているわけではありませんのでどうかお許しください…)
おかあさんは たいふう
きのう たいふうがきて 木がたおれました
はっぱも ぐちゃぐちゃでした
ぼくのママも こわい たいふうです
ぼくも たおれています
だけど きょうは いいてんきです
三つ叱って七つ誉めろという言葉を聞いたことがあります。
子どもは大人みたいに出来ないから「子ども」なのです。それが自然な「子どもの姿」なのかもしれません。どうしても叱らずにいられない時はありますが、毎日叱りっぱなしだったり、長々と叱るというのは、かえって逆効果になるようですね。大人だって出来るはずのことが出来ない時もありますからね。辛抱強く待つことも含めて、秋の行楽シーズンを前に子どもとの向き合い方を少し考え直してみたいと思った今日この頃です。
猛暑、極暑、激暑、大暑、厳暑、炎暑、酷暑・・等々、暑さを表現する言葉はいろいろありますが、今年ほど暑かった夏は50年以上生きてきて初めて、のような気がします。
リオではオリンピックが盛り上がっていましたが、あちらは暑いと言っても季節は冬。日本ほどの暑さはなかったのでしょう。日本のメダル獲得数は新記録を達成しました。一方、同じ記録でも日本では暑さの記録、炎天下の中で行われていた高校野球の選手や応援団の気力・体力には脱帽でした。
この暑さは、虫たちにも影響したようで、蝉も夏バテしたのかお盆前から鳴き声に力を感じませんでしたし、赤とんぼもあまり見ませんでしたし、コバエはいても普通のハエを見ませんでした。蚊もいつもより少なかったのではないでしょうか。
そんな中、最近街でよく見かけたのは歩きスマホですね。ポケモンを探してあちらこちらへ子どもから大人までが街を彷徨う姿は、まるで何かに憑りつかれた浮遊者に見えるのは私だけでしょうかねえ。
YOUTUBEでは勉強に集中できたり不眠を解消する音楽が配信されていますし、テレビを見ながら食事したり、湯船につかることができるようになった昨今。便利で快適になった反面、運転中の携帯操作や通話などいろんな問題も生じています。
むかしから「ながら族」という言葉がありますが、私も何を隠そう「ながら」の達人と自負しております。ですから、ここには書けない「ながら」生活があれこれとあります。しかし「ながら」を堪能するのは、家の中のみにしていただき、屋外では人様に迷惑がかかるので慎むことが肝要ではないかと私は思います。
誰にでも「楽しい」とか「嫌だなあ」と感じることがありますね。例えば・・・朝「よしっ!朝だ!」と気分よく起きちゃう日は、きっと楽しいことがある日でしょう。遊びに行く約束をした日曜日にやたらと早起きする子どもがそれです。
反対に「あ~朝か・・・」と仕方なしに起きる日は憂鬱なことが待っている日・・・。晴れていても心の中はどしゃ降りの雨。爽やかに流れるラジオの声や軽快な音楽も耳に入りません。おまけに食欲もなく、今日の日がなくなればいいのに・・・なんて非現実的なことまで考えてしまいます。
「嫌なこと」をイヤッと思わないで気持ちを切り替えて・・・というその場しのぎのアドバイスをよく耳にすることがありますが、これは無理です。だって嫌なことは嫌なのです。本当に嫌なのです。
しかし「嫌なこと」があるから「楽しいこと」があると考えたことはありませんか?
もし人生が楽しいことだらけだったら、楽しいことが当たり前になりすぎて嫌になる?
かもしれませんね。
つまり「嫌なこと」はイヤだけど「嫌なこと」としてちゃんと受け入れる。そして「嫌なこと」を忘れるほどの「楽しいこと」をつくって、その日を心待ちにする方が現実的だと思います。「嫌なこと」があるから「楽しいこと」がある。人生そんなもんじゃないでしょうか。いよいよ夏休み。子ども達に楽しいことがいっぱい待っているといいですね。