
「老を敬う日」を迎える月なので今回は「老い」について語らせていただきましょう。それにしてもまだまだ暑い日が続きますが、この暑さも「あらら?どうしちゃったの?」てな具合に、そのうち涼しくなり、寒くなる。- のと同じように、人も生きている限り必ずいつかは「老い」を迎えるわけで、それはまさに「あの頃の私に戻りたい」と思っても二度と戻れない「さらば青春の光」なのです。
などと言えば「何それ?それじゃ身も蓋もないじゃない!もうプンプン!」と毎日入念に、ムダな‥もとい!!ムダなくお手入れをされている数多の淑女に怒られるので「永遠の青春」は無理としても「老年期は子供に還る」と言われるほど愛しい笑いと涙に満ちた「老い」の世界をご堪能ください。
ある病院での認知症検査です。医者「よく来てくれましたね。ここがどこかわかりますか?」患者「・・・・」医者「えっと‥おじいちゃん、ここはどこですか?」患者「・・・・」そこで医者は正面から、おじいさんの足にそっと両手を添えて「おじいちゃん‥ここはね」と言った刹那‐患者「ひ、ひざ‥じゃ」
食欲がない‥そうつぶやく母は近頃めっきりやせてしまった。「ちゃんと食べて、ほらっ、あとひと口でいいから‥」「ありがとう‥でもね、わたしも‥そろそろお迎えがくる‥だから‥いらない」「なに言ってるの‥縁起でもないこと言わないで‥」と深いため息をつく私・・・その刹那‐「ピンポーン!」「おはようございまーす!デーサービスですぅ!」「えっ‥?お迎えって、そっちかーいっ!」
ある日、古い箪笥の引き出しの中を整理していた私は思いがけないものを見つけた。それは認知症を患い入院中の母が書いた手紙だった。「いつの間にこんなもの‥」と思い封筒を恐々開いてみる。そこには震えた文字で綴られた一文が‥「ご、め、ん、な、さ、い・・もう・・なにも・・わからない・・」
文字の震えは高齢の母がおぼつかない手で書いたからだけではない。私の目から溢れる涙が文字を揺らしていたのだ。物心が付いたころからずっと二人暮らしだった。女手一つで私を育ててくれた母だった。母の手はいつもふっくらして温かかった。それなのに‥そんな母の手を私は放してしまったのだ。いたたまれぬ思いを胸に、すぐさま母のもとへと駈けつけた。秋晴れの中、ちょうど車椅子で散歩中だった母を見つけて、そっと手を握る。そして‥「母さん‥手紙が‥母さんが書いた手紙が‥箪笥の引き出しに‥。母さん、ぼくこそ‥この手を放して‥ご、ごめんなさい‥」涙声の私に母はかすかな笑顔でゆっくりと首を横に振る。その顔を‥よく見ると‥‥えっ?!あれっ?母じゃない‥。
「あっ、す、すみません!人違いでした‥」花壇では秋桜が吹く風にやさしく揺れて微笑んでいた。
夏がく~れば 思い出すぅ~♪ はるかな尾瀬 遠い空~♪
というわけでして、夏と言えば - 何といっても、ひと夏の思い出ですよね。
10人いれば10人なりの忘れられない夏の出来事や物語がきっとある。- と私は思います。
あれは私が中学生の頃でした。TVアニメ「エースをねらえ」やウィンブルドンにあこがれてテニス部に入部し1年生から中体連という夏の大会にダブルスで出場した時のことです。
試合開始直後‐私が思いっきり打った強烈なサーブが、あろうことか前衛で前かがみに構えていたペアのお尻にモロ直撃! 「いてっ!」と言った彼の声、「ポーン!」と大きく跳ねたボール、失笑する観衆‥そして振り向きざま私に向けられた戸惑いと悲しみ‥やり場のない怒りが混ざり合った彼のまなざしは、生涯忘れることのできない夏の思い出として、今でも私の胸にほろ苦く刻み込まれており、そのことを思い出すたびに、ついつい笑いがこみあげて参ります。
そして更に昔昔、夏休みに朝のラジオ体操が校区で行われていた時代の話です。その日、胸にMIZUNOとローマ字で名前を書いた服の見かけない子がいたので、さっそく私は親しみをこめて「君‥水野君なの?」と声掛けるも反応はなし。それから数日たった始業日、その彼が転入生として担任に紹介されました。「みんな聞いてくれ。2学期からこのクラスに入ることになった冨田君だ」‥「えっ?!とみた? 水野ちゃうんかーい!」と私は心の声で叫びましたがMIZUNOがブランド名だと知ったのは、その後のことなので、私にとってMIZUNOと言えば、あの日の夏が蘇ります。
最後に「真夏の夜の夢」のおはなしをいたしましょう。- 夏休みに入って何もする気がおこらず、日々徒然なるままに過ごしていたある夜、こんな夢を見ました。突然、枕元に神様があらわれ、こう告げたのです。「今のお前はいったい何なんだ、ひねもすホケ~っとしているだけで‥ジョン・レノンがイマジンならお前はヒマジンか?今日で最後 - もし仮に今日でお前の人生が終わるとしたら今の自分を誇れるか?誇れないのなら、今すぐ心を入れ替えて明日に繋がる生き方をしろ。明日に繋がる虹の橋を架けろ。それが“あすなろ”の意味だ」この夢から私は目覚め今を生きています。
「人はひとりでは生きていけない。人はひとりでは歩いていけない」の言葉の通り、人はこの世に「おぎゃー」と生まれた瞬間から、いろんな関わりの中で生きていく運命にあると言えます。
そして、-どんな世界で、だれと出会うか‐は人それぞれです。そう考えると、私はずい分と恵まれていると言うか、とてもいい出会いの中で生きている-と思います。なぜなら、とっても愉快な仲間たちと日々を過ごせているから-。
ある日のことです。「〇〇先生、人はパンのみに生きるにあらず」だよと、ある先生に話したところ、その先生はすかさず「えっ、パンの‥耳、ですか?」とのたまい、その瞬間‥私の耳が壊れました。
はたまたある日のこと。「あずき」と「だいず」の話になり、ある先生に「だいず」を漢字で書ける?と訊く私に、当然です!というドヤ顔で「大豆」と答えたので、じゃや「あずき」は?と訊くと「・・・・」だったので、大きい豆が「だいず」で小さい豆が「あずき」だよ、と教えてあげると‥「すごーい! えっ、じゃあ‥中豆は何ですか?」 -「知らんわーっ!」-。
その昔には、鎖骨(さこつ)をひだりの骨と思っていた先生(ちなみに彼女にとっては、右の骨は「うこつ」だそうです)や呉汁(ごじる)を「くれじる」、金平牛蒡(きんぴらごぼう)の「金平」を「かねひら」と読んだり、七夕発表会の「七夕」を「夕七」と逆に書いたり‥実にクリエイティブ感覚に長けた愉快すぎる先生たちのおかげ様をもちまして何とも幸せな人生です(苦笑)
しかし、どんなに仲睦まじい間柄だとしても、ほんのちょっとした事やたわいもないきっかけでケンカになることもあるでしょう。これは夫婦や親子兄弟問わず、また園内で日々過ごしている子供達にしても同じです。だからもし、今ケンカの真っ最中の人がいれば私はこう伝えたいと思います。
「ケンカのいいところは仲直りができるってこと。仲直りの時のほろ苦さとくすぐったさ、その後にくる爽快な気分を味わえば、きっと今まで以上に絆が深まる。だからケンカしたら仲直りだよ!」
毎年6月4日~10日の「歯と口の健康週間」にちなんで今回は歯磨きの話をしたいと思います。
さて、歯が大切なのは今さら言うまでもなく、そのために歯磨きという習慣が求められるわけですが、これがなかなか厄介でしてね‥なんせお口の中に歯ブラシを突っ込むのですから、ほとんどのお子様は嫌がりますもんね。
「〇〇ちゃん、スキなことは何?」と訊かれて「んーとね‥歯磨き!!」などと答えるツワモノの子供はまずいません。そこでママたちは意を決し「柔道の寝技?!」みたいな態勢でわが子を押さえ込み日々悪戦苦闘してきたという経験もきっと―あるある―ですよね(笑)
「あさ ひる よる 食べたら磨こう3分間」これは子供たちが日課活動で唱える今月の生活目標ですが、このあさひるよるの3分間は、子供のみならず大人にとっても何となくめんどくさい存在だったりしますよね。そこで私が考えた歯磨きが楽しくなる効果的な方法を皆様にお教えすることにいたしましょう。
それは「しあわせなら手を叩こう」ではなく「しあわせなら歯を磨こう」です。この歌を歌いながら歯磨きすると「あら、まあ不思議!」今まで億劫だった歯磨きが小躍りしたくなるほど楽しくなる ― のかも知れません(笑) ♪しあわせなら歯を磨こっ!ゴシゴシ♪ってな感じですかね。
これとは逆に、もくもくと歯を磨くのもいいですよ。そうすれば「あっ、そうだった!!」と大切なことを突然思い出せたり、すごいアイデアが閃いたりすることがあります。でも決して焦ってはいけません。磨きながらそれを即座に誰かに伝えようものなら言葉が「ンガンガ#〇◎△$♪×¥●&%#?!」となってしまい、いったい何を言っているのか、さっぱりわかりませんので一度口をゆすいでから話しましょう。また「しあわせ‥」の歌もちゃんと歌おうとすればするほど、お口の隙間からよからぬものが垂れてくることがありますので「♪ふっふっふっふ~ん♪」とハミング程度にとどめて楽しい歯磨きタイムを過ごしていただければ幸いです(^^♪
木々の新緑が色鮮やかな季節となりました。5月と言えば、何といってもGWですね♡
大阪万博も始まりましたし、各地の行楽スポットは、きっと大賑わいのことでしょう。
そんな中、先日TVニュースで知りましたが、連休などで行楽地を訪れる人の多さ以上に大変な問題があるそうで‥。それはゴミ問題です。キャンプ場や遊園地などのゴミ箱は一日に何度も何度も回収しないと、すぐに満杯になり、もし回収しそこなえば、あふれたゴミが風に飛ばされ、あちらこちらに‥。風に飛ばされ彷徨うゴミならまだしも、なかには誰も見ていないからといって、ポイ捨てをする人のゴミもあるらしいので驚きです。
さて、突然ですが、実はわたくし、仕事の傍らに保護司を20年以上務めており、今までさまざまな対象者を担当してきた経験から、問題を起こしたのちに更生できる人と、そうでない人の違いは、良い習慣が身についているかどうかにあるということに気づきました。
例えば、ポイ捨て問題ですが、それをA悪いと思ってする人と、B悪いと思わないでする人、皆さんはどちらが更生する可能性が高いと思いわれますか?わたしの答えはAです。
つまり、ゴミを拾う・履物をそろえる・椅子を入れる・挨拶や返事など‥身につけるべき良い習慣はたくさんありますが、全部できなくたっていい。10あるとすれば、そのなかで、たったひとつだけでもいい。ポイ捨てはダメと知っている人と知らない人、履物をそろえることが良いことと知っている人とそうでない人の違いは、そのことをきちんと教えてくれる人がいたか、いなかったかなのです。
ある少女を担当した時のことです。髪は銀色、長いまつ毛はまるでベランダの庇、ド派手な模様の爪に、へんてこなサンダルでやってきたその子が、何とサンダルをそろえてぺこりと一礼して上がってきたので、すかさず私はいいました。「すごい!」と。「君の恰好じゃなくて靴をそろえたことがね。誰に教わったの?」その子はその後、立派に更生しくれました。