あれはコロナが蔓延する少し前のころだったでしょうか。ある先生が私のもとへやってきてこう告げました。
「あの~ご相談したいことがあるんですが‥今よろしいでしょうか?」
直立不動の緊張した面持ちで私の前に立つ彼は、何やらただならぬ雰囲気を醸し出しながら意を決したようにこう続けました。「実は‥好きな人がいてプロポーズしたいんです」私はすかさずこう答えました。「俺は無理だぞ。妻子ある身だし‥あきらめてくれ」
私の返事に驚き唖然とする彼。まさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔でした。そこで私は「なんでやね~ん!」と自分のボケを自分で突っ込むというひとりボケ突っ込みを演じてその場の空気を和ませた次第です。
さて本題。その先生の相談とは婚約指輪にいったいいくらぐらいかけたら‥?ということでしたが、さて皆さんならどう答えますか?
わたくしは常々こう考えています。-世の中で最も価値があるものは決してお金では買えない-いったいそれは何かといえば「愛」です。子供達が大好きなアンパンマンは愛と勇気が友達ですし、喜劇王のチャップリンは人が生きていくために必要なものは勇気と想像力そしてほんの少しのお金と言いました。お金はほんの少しでいい。それよりももっと大切なものは「愛」だと私は思います。浜田省吾「丘の上の愛」の歌詞はこうです。
♪愛が買えるなら その涙の理由(わけ)をきかせて そのためいきの理由(わけ)をきかせて♪
無償の愛に満ちたパートナーや子供、そして家族。無償の愛に包まれた場所こそが人を幸せにする。そして、その場所はあなたのすぐそばにきっとあるはずです。
※ちなみに彼にはこう答えました。お金で買える指輪よりもお金で買えないあなたの言葉で一途な思いを告げなさい。
早くしなさい!」「何度言ったらわかるの!」「もう、いい加減にして!」これらは親が子供を叱りつける代表的な言葉ですね。もちろん恥ずかしながら、私も子育て中は何度もそう言ってきた気がします。親は子供の至らないところを正すために叱るわけですが、そんな親の願いや思いはほとんど伝わることなく、子供にしてみたら、ただひとりでイライラしている親の姿しか映らないようです。ある本に掲載されていた次のような子供の詩を見て、あらためてそのことに気づきました。(タイトルに「おかあさんは‥」とありますが、母親だけに責任転嫁しているわけではありませんので、お母様方はどうかご容赦ください(笑))
おかあさんは たいふう
きのう たいふうがきて 木がたおれました
はっぱも ぐちゃぐちゃでした
ぼくのママも こわい たいふうです
ぼくも たおれています
だけど きょうは いいてんきです
「三つ叱って七つ褒めろ」という言葉を聞いたことがあります。どんな立派な大人だって子供の頃は叱られた経験があるはずですし、子供は大人のように出来ないから「子供」なのです。それが子供本来の自然な姿だと私は思います。どうしても叱らなければならない時はありますが、毎日毎日叱りっぱなしだったり、長々と叱るというのは、如何なものかと‥。なぜなら大人も出来るはずのことが出来ない時もあるし、誤解を恐れず言うなら至らない点もたくさんありますもんね。子育ての要諦とは、出来たことはしっかり褒めて、出来ないことは出来るまで辛抱強く待つ。「褒めて認めて励まして」の気持ちをもって、実り多き秋の行楽シーズンを楽しくお過ごしください。
やりたい放題に暑さを放った夏もさすがに9月に入れば「私、このあたりで失礼いたしま~す」と言って、帰り支度を始め、そそくさとお引き取りいただけるはずと思いきや、、、、「おい、おい、まだそこにおったんかーーい!」と突っ込みたくなるような残暑が続くのは何ざんしょ。(なんちゃって)
さて、本題に入りますが51対49。いきなりバスケやアメフトのスコアみたいな数字ですが、何だかわかりますか?実はバスケやアメフトではなく、子育てのスコアなのです。100%のうち、49%だめでも51%うまくいけばいい。つまり100対0の圧勝ではなく手に汗握るようなギリギリの勝利でOKということです。
子育てに悩みがつきものなのは言わずもがなです。子どもが成長するにしたがって悩みの種類も多様化します。問題に直面したならば、悩みに悩んだ末の判断や決断を下して子どもを教育していきます。しかし、なかなか問題が解決しない時に思うのです。「果たして私の判断は正しかったのだろうか???」
もしあなたが「あ~すればよかった…こ~すればよかった…」と後悔することがあるとしたら、次のように考えることをお勧めします。もともと子育てに全問正解はないのです。地域や年代など子どもが育つ環境はさまざまです。子どもを育てる親が子どもとして育った時代と今の子どもの時代は明らかに違います。兄弟姉妹で性格も違います。そんななかで常に正解を導き出すことは不可能なのです。
「思い通りにならないことを教えてくれた人、それは親でも先生でもなく我が子でした」そんな笑い話があるくらいですから、思い通りにならないことだらけの子育ての現実をしっかりと受け止めて、その中でもひとつふたつぐらいは思い通りになる喜びを見つけることが子育ての秘訣のようです。
ある施設で介護士をしている私は、今まで幾人かの高齢者を見送ってきました。その中で「大丈夫の力」を教えてくれたおばあちゃんのことは、けっして忘れることができません。
その方が施設に入ってきた時、私はある悩み事を抱えていて何もかも嫌になり仕事を続ける元気もなく「もう辞めたい」と何度も思い辞表をいつも持ち歩いているような毎日でした。
そんな私を心配してなのか、そのおばあちゃんは、私の顔を見かけるたびに「大丈夫?」と声をかけてくれました。ぜんぜん大丈夫なんかじゃないのに、おばあちゃんに「大丈夫?」って訊かれると、ついつい「大丈夫です‥」って答えてしまう私に、おばあちゃんはやさしく微笑みながら、こんな話してくれたのです。
「あのね、あなたが大丈夫なんかじゃないことぐらい、私にはわかっていますよ。だってその顔にちゃ~んと書いてあるもの。そして‥これ。あなたのポケットからさっき落ちたのを私が拾ったの」「あっ、それ‥」「そう、あなたの辞表。拾ったのが私でよかったわ」「す‥すみません‥」
私の主人はね、ガンでずいぶん前に亡くなったんだけど‥。末期の激しい痛みに耐えながらも、いつも私に「大丈夫か?」って訊くの。自分がいちばん辛くて大丈夫なんかじゃないのにね‥。だから、ある時「どうして?」って訊いたの。そしたら「大丈夫って言葉はすごい力を持っている。自分が大丈夫じゃなくても、人に「大丈夫か?」と訊いて「大丈夫」って返事されると自分が大丈夫になった気がするんだ。」ですって。私は涙が止まらなくてね。だから最期は「いっぱいの大丈夫をありがとう」って言って主人を見送ったの。大丈夫って言葉はきっと自分やみんなの心に元気を与えてくれるから、あなたもできるだけ多くの人に「大丈夫?」って声を掛けてほしいの。自分が大丈夫じゃなくても、まわりの人に「大丈夫?」ってね。それができるようになれば、あなたはきっと「大丈夫よ!」
今の私があるのはおばあちゃん‐あなたのおかげです。「いっぱいの大丈夫をありがとう」
人間にはさまざまな能力が秘められていますが、その中で私がもっとも大切だと思う力は「どんな現実に遭遇したとしても、それをしっかり受け入れることができる力」です。
私たちの身の回りには、上り坂、下り坂、そして「まさか」という現実が常に付きまとっています。順風満帆な人生なんていうのは、およそ漫画の世界であって、想像すらしなかった出来事が何度も繰り返し起こるのが人生です。そして‐世の中とは絶えず変化しながら、巻き戻しや一時停止もできないまま時に残酷な傷跡を残したとしても、そんなことはお構いなしに、素知らぬ顔して過ぎていくものです。
そ、そんなネガティブな・・と思われるかもしれませんが、巷で起こっている事件や事故、災害のニュースに接するたびに暗澹たる気持ちになる‐大沢誉志幸の歌ではないですが、まさに「そして僕は途方に暮れる・・」状態になることも事実ではないでしょうか。
そんな時、頼りになるのが「すべてを受け入れる力-受容力」なのです。「こんなはずじゃない‐と目の前の現実から逃げることなく、正面からしっかり向き合う力、そして出来ることから少しずつでも対処していける力。この力こそ人が生きていくうえで最も重要な力と私は思います。
しかも受容力が高い人はボケないとも言われているようです。そしてどんなに落ち込んだ時にもちゃんとお腹が空いてしっかり食べることができる人。そんな方があなたのまわりにいらっしゃるとしたら、その方はきっと長生きすることでしょう。
ちなみに変化は英語でchangeと書きますが、このgがcに代わるとchanceとなります。
つまり変化するということは一字変えるだけでチャンスになる。これが「ピンチはチャンス」と言われる所以なのかもしれません。受容力が高い人はそんな発想の転換が当たり前のようにできる方なのでしょうね。