あすなろコラム

~よもやま話~ 2026.02.01

暦の上では、間もなく「立春」を迎えますが、まだまだ寒い日が続くこの2月。別名を「如月(きさらぎ)」と言いますね。では、なぜ2月が「如月(きさらぎ)」なのか?それは‐「立春」と言えども身を切るほどの厳しい寒さが和らぐ気配はない。なので、人々は寒さ凌ぎの衣服を何枚も重ね着する必要がある。服の上からさらに服を着る。つまり「着さら着」から「如月」(きさらぎ)になった。― かどうかは定かではありませんが(笑)。

 

それは、むかしむかし2月のある寒い日のことでした。いつものように登校の準備をしていた小学生のKくんは、お母さんからの「今日は寒いから、しっかり着込んで行きなさいよ」という言葉を受け、持ち前のチャレンジ精神と好奇心をいかんなく発揮。なんと、ありったけの服をベッドに並べ、重ね着の限界に挑戦したのです。結果は‐ズボン2枚、靴下2枚、上着は、なんと8枚。合計すると12枚で、時が平安時代なら十二単衣(じゅうにひとえ)と言いたいところですが、はたから見ると、その姿はまるで-着ぶくれした「クマのプーさん」です。

 

そんな重ね着姿で学校へむかったKくんは、当然のように、友人達からゲラゲラと笑われ、あきれ顔の担任の先生からは、みんなの前に呼ばれ「いったい何枚着ているの?」と着ている服の枚数を数えられ、あらためてクラスは大爆笑。こうして彼の重ね着チャレンジは、単なる目立ちたがり屋のおバカさんに終わるという無残な結末。穴があったら入りたいほどの赤っ恥まで重ね着してしまいましたとさ。ちなみにこの日、彼がもし穴に入れば、ふくらんだ体が穴から抜けない「おはまりプーさん」になっていたでしょう。さてこのKくんとは、いったい誰か?-それは誰にも内緒、お口が×のミッフィーちゃんということで…よろしくお願いします(笑)。

 

話は変わりまして、最近AIが徐々に日常生活に浸透してきている感がありますよね。AI家電やスマホAI機能等のCMを目にする機会が増える中、私も年末にようやく「アレクサ」と知り合いになりました(笑) しかし‥何となく「アレクサ」と呼ぶのが恥ずかしいというか‥照れくさいので‥名前を「テレクサ」にしたらどうかと思います(笑)。ついでに言うなら、福岡だけの限定バージョン「博多弁」で喋る「アレクサ」も登場すればいいですね。その名はもちろん‐「アノクサ」です。- 博多弁で「あのくさ~」と呼びかけると「なんね~、どげんしたん?」と答えてくれる博多っ子の「アノクサ」。これなら気軽に会話が楽しめる。ってことは‥ないですね(笑) そんなこんなの実にくだらない話にお付き合いいただいた皆様方におかれましては、どうぞお気を確かに(笑)。月日は如月からやがて弥生へ。春は近からずと言えども遠からず。

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~新年の誓い~ 2026.01.01

新年を迎えて、最初にお出かけする場所と言えば‐初詣ですかね。お正月の風物詩、全国所々方々の神社に多くの参拝者が心晴れやかに訪れる姿は、みやびな大和風情を醸し出してくれます。

 

さて、その初詣ですが「何のために?」と問われると、神様にお願い事をするため。と答える方がほとんどでしょう。健康のことや、志望校への合格、仕事の成功や商売繁盛、はたまた、恋愛の成就など‥その内容はさまざまです。それはそれで決して悪いことではないのですが、本来、初詣とは神様にお願い事をするのではなく、日頃の感謝を伝え、今年一年の自分自身の思いや行動を神様に宣言し誓いを立てるために参るというのが正式だそうです。

 

たとえば、どうしても合格したい試験や面接があって、神社にお参りに行くとします。「神様、どうか受かりますように」というのがお願いであり、いわゆる神頼みです。そうではなく「私は絶対受かるために努力しますので、どうか見守りください」というのが決意であり、聖なる誓いになります。

 

つまりは「神様に頼んだから大丈夫」と丸投げするではなく「神様に誓いを立てたからには、本気で頑張るぞ」という思いで努力することが大切で、加えてそれが、決して手を抜いたり途中で投げ出したりしないという神様との大事な約束事にもなるのです。

 

そして、日本人のマナーの良さや道徳心が、心のどこかで「神様に見られている」という意識のためだとすれば「お天道様が見ている」の言葉通り、誰も見ていない人道に反する行為でも、神様はちゃんとお見通しなので、嘘やごまかしは通用しない。さらに言えば、ごまかしが通用しないのは、神様以外にもう一人いる。それは自分自身。自分の心だけは、ごまかせません。なぜなら、もし嘘をついて人を騙したとき、それが真実ではないことは自分が一番わかっているからです。お天道様を常に意識し、自分の心を偽らない。それこそが、神様への普遍的な誓いになるのではないでしょうか。

 

縷々述べさせていただきましたが、最後に私事を申し上げますと、昨年の2月に念願の伊勢神宮へ行って参りました。「日本人に生まれたなら、一生に一度はお伊勢さん」とよく言われますが、なんとこの神社「おみくじ」がありません。それは何故か?‐ 答えは『伊勢神宮に参拝できたこと自体が大吉なので「おみくじ」を引くまでもなく、今日の参拝を迎えられただけで全員が大吉』だからだそうです。なんと全員が大吉っ!‐そんなご利益のある場所があなたの身近にもあるとしたなら‥。『あすなろにいるだけで、みーんな大吉!』‐今年一年が、そのような年になればと心から願っています。

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~頑張ったあなたへ -聖夜のつぶやき- ~ 2025.12.19

令和7年師走のクリスマス・イブの夜、あなたの枕元へそっとプレゼントを置いた私は、すやすやと眠る寝顔を見つめながら、いろんなあなたを思い出しました。

 

あなたが私のもとへ生まれてきてくれた日、初めての添い寝をした日、ちいさな手に人差し指を入れると、やさしく握り返してくれた日、ほっぺがマシュマロみたいに気持ちよく何度もさわっていた日、かわいい虫笑いの癒し顔でときどき体を「ぴくっ」とさせる寝姿に「何の夢を見てるのかな~」と思いめぐらせた日、抱っこをして体を揺らすと、うれしそうに笑ってくれた日、あなたのそばにいるだけで、とても幸せな気分になれた掛け替えのない日々‥。もちろん、突然の夜泣きで何度も起こされたり、ミルクを吐いたり、高熱を出して心配したこともあったけど、こうしてあなたと出会えたことが、私の最高の喜びであることは間違いありません。

 

そうして、幼稚園に通うようになったあなたに、事あるごとに「頑張れ!」とか「大丈夫!」と言ってきたけれど、何をしてもうまくいかないときもあったね。あなたは一生懸命に頑張っているのに‥うまくいなかない‥なかなかできない。それなのに私は‥ただひたすら「頑張れ!」って。あなたは不安や悲しみや口惜しさがいっぱいの海で溺れそうなくらい藻掻き苦しみ頑張っていたのに、いつ破裂してもおかしくないほど膨らみすぎた風船のようにパンパンだったのに。

 

『一見、善意や励ましに聞こえる「ねえ、大丈夫?」とか「頑張ってね!」の言葉が、相手の心を崩壊させることもある』ある本にそう書いてありました。たとえば、大丈夫じゃないとき、誰かに「大丈夫だから!」とか言われても、まったく「だいじょばん」ときだってきっとある‥。ましてや、心が折れてしまったときに「元気ですかー!」とか言われても‥‥アントニオ猪木じゃあるまいしね。

 

そこで私は、ようやく気づきました。そばにいるだけで幸せだったあの頃を忘れてしまっていたことを。成長すればするほど、あなたにもっともっとと求めすぎていたってことを。励ますばかりじゃなく時には黙って寄り添う温もりが必要ってことを。一緒に泣いて人に弱さを見せるのも強さだって伝える大切さを。だって強さも弱さも優しさも厳しさも全部ひっくるめて生きているってことだから。

 

ときに失うことがあっても、そこから得られるものも必ずある。人は失敗を繰り返し成長するのだから、ありのままを認めて受け入れれば、何だって乗り越えられる-これからもずっと。だから、今日まで頑張ってきたあなたへ―心からの敬意を込めて私はつぶやいた。 -Happy Christmas to you-

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~許すということ~ 2025.12.01

間違いを犯す自由がなければ、自由は持つに値しない―――

この言葉は、不完全な存在ゆえに「間違い」を犯し、傷ついては苦しむ私たちを、あたたかな眼差しで優しく包み込む「ゆるし」の力を持っています。

 

たとえば、あなたの左右の肩に天使と悪魔がいて、それぞれが「こっちよ‐こっちへおいで‥」と囁いたとき、どちらが天使で、どちらが悪魔かは、意外とわからないものです。つまりは、標(しるべ)のない道を手探りで進んで行かねばならないとき、右か左か、上か下か‐いったいどちらが正解か‐わからないとするならば、どの道を選択するかは、その人の自由であるべきで‐「正しかった」「間違いだった」は、ひとつの結果でしかないときだってある――ということです。

 

人は間違いを犯すし失敗もする‐いやむしろ間違いや失敗から、さまざまな学びや教訓を得て成長をする生き物なのです。なかには、身勝手なエゴや自我に染まったあらゆる欲に目がくらみ罪を犯すこともあるでしょう。絶対に許せない‐絶対に許されるべきではない、そんな罪を犯す人だっています。

 

今から45年前の1980年12月8日、ニューヨークの高級住宅街ダコタハウスで事件は起こりました。ジョン・レノン殺害のニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡り、一瞬にして最愛の夫を失ったオノ・ヨーコさんは、当然ながら犯人を絶対に許せなかった。当時を振り返ったとき、彼女はそう口にしては、誰も救い出すことのできないほど深い悲しみの底に沈んでしまいます。皆さんも経験あると思いますが「絶対に許せない」という感情はとても強固な存在で、ちょっとやそっとで、どうなることではない。しかし、そんな彼女の心を救ったのは「ゆるし」だったのです。

 

いくら人を責めても憎んでも恨んでも、悲しみや苦しみからは決して逃れられない。そこで彼女は祈ったのです。-Bless you-あなたのために私は祈る。好きな人のみならず嫌いな人の幸せをも祈る。そして気づきました。祈ることで、いつの間にか自分の中の悲しみや怒りが消えていき‥人のために祈ることが、自分を救う祈りになっていたことに‥。そこからはじめてすべてを「ゆるす」気持ちが芽生えていったことに‥。犯した「罪」は「罰」ではなく「ゆるし」という形で「負」から「正」に浄化する。もちろん、犯した過ちは、自ら償い改めなければならない。孔子の言葉を借りるなら「過ちを改めざる、これを過ちという」の通りです。しかしどんな「過ち」もそれを改めようとしたとき、本人の努力はもちろんですが、最後に求められるのは、あたたかな眼差しで優しく包まれた「ゆるし」の心ではないかと私は思います。 ―「ゆるす」ことで過去は変わらないけど、未来はきっと変わる―

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~Pay it forward~ 2025.11.01

~世の中には目に見えるものと見えないものがある。たとえば、ある人が胸に抱いた「思い」は目には見えないが、その「思い」が行為になったとき、はじめて「思いやり」として相手に伝わる~

 

2014年、アメリカフロリダ州のスターバックス店舗でこんなことがありました。ドライブスルーの利用客が、次の客にアイスラテのトリプルグランデをおごったことがきっかけとなり、後続の利用者にコーヒーをごちそうする「善意のリレー」のバトンがつながり、店長さんいわく、このリレーはおよそ11時間にわたって続き、ごちそうされたコーヒーの数は、なんと457杯にも達したそうです。

 

「恩返し」という言葉がありますが、これは、ある人から授かったご恩をその人に返す‐いわゆる「ご恩のキャッチボール」のようなもので、むかし話でいえば「鶴の恩返し」が有名ですね。しかし、授かったご恩を相手に返すのではなく第三者に送る(贈る)「恩送り」という行為もある。それを「ペイ・フォワード‐Pay it forward」といいます。

 

じつは、このスタバの出来事からさかのぼること十数年前に「ペイ・フォワード 可能の王国」というアメリカ映画が公開されましたが、この映画を観た人が、時をこえて、スタバの「善意のリレー」を思いついたかどうかは別といたしまして、映画の中では、中学生の主人公が授業中に先生からこんな質問を投げかけられます。

 

「もし君が、自分の手で世界を変えたいと思ったら・・何をする?」

 

そこで彼は、黒板に図解を交えながらこう答えて先生や生徒たちを驚かせます。「善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の三人に送る(贈る)。そうすれば、ひとりの善意が三人に、三人の善意が九人に‥という具合にどんどん広がっていき、きっと世界は変わると思う」そして自ら実行に移しますが‥なかなかうまくいかず「これは失敗だったのでは‥」と思い始めたところで奇跡が起こります。なんと彼の知らないところで善意のバトンが人から人へ次々と受け継がれていったのです。

 

もし、この発想が悪意に満ちていれば犯罪につながりますが、善意に満ちていれば生きる力や喜び、そして未来への希望を繋ぐリレーになる‐と私は思います。なぜなら、生きることは誰かに借りをつくり、その借りを返すこと。誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげること。それが人の生きる道。-人はひとりでは生きていけない、誰もひとりでは歩いていけない‐からなのです。

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あすなろ幼稚園
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