あすなろコラム

~ラーメンとうどん~ 2016.06.01
博多の麺類と言えば、とんこつラーメンに代表されるように博多ラーメンという声が方々で聞かれると思います。事実、駅や空港のお土産コーナーには有名店舗の名前が入った商品やさまざまなラーメンのパッケージが所狭しと並んでいます。

何を隠そう、小生もラーメンが大好きで、若い頃はそれこそ方々のラーメンを食べ歩いた口ですし、コンビニなどで新商品が発売されると、ついつい買ってしまうタイプでした。しかしそんな小生も歳とともにラーメンよりうどんを好むようになりました。そして最近特に思うのは、ラーメンで有名な博多ですが、実は博多は、うどんも侮れないということです。

四国、香川県と言えば、自ら「うどん県」と名乗るくらい讃岐うどんが有名で映画にもなったところですが、その香川県に引けを取らないくらい博多のうどんのレベルは高いと小生は自負しています。もちろん個人の嗜好の問題もありますが、ラーメンで「この店、ハズしたなぁ‥」という経験は多けれど、博多のうどん屋さんでは、ほとんどありません。かの井上陽水さんも「博多のうどんはハズレがない」と言ったくらいですから。

博多の老舗うどんといえば川端の「かろのうろん」でしょうか。そして「因幡うどん」に「みやけうどん」、「大福うどん」等々‥。加えて「うどんウエスト」(讃岐うどんに味が似ている)に「ほり野のうどん」、そして平尾にある「恵味うどん」もおススメです。「松本人志のすべらない話」ではないですが、今あげたお店は「博多のハズさないうどん屋さん」と県外からの客人に喧伝しまくっています。

まだまだあります。安くておいしい「黒田藩」、ボリームたっぷりでいくら食べても麺が減らない‥と言うより増えてる気がする「牧のうどん」は学生や健啖家好みでしょうか。こうしてラーメンやうどんにあれこれ思いを巡らすと、その昔、あすなろとあいあいの男性職員で発足した麺’sクラブ(ある理由で自然消滅‥)をずい分懐かしく思い出す今日この頃です。
~泣く子は育つ~ 2016.05.10
人は誰しもオギャーと泣いてこの世に誕生します。ですから、人が生まれて最初にすることが泣くことなのです。それは言うまでもなく生きている証なので大きな声でオギャーと泣くと母親は「あ~元気に生まれてきてくれた」と安心します。

先日起きた熊本地震、まだまだ痛ましい爪痕をいたる所に残したままですが、奇跡的に瓦礫から助けられた8ヶ月の赤ちゃんの救出のきっかけは消防士がかすかな泣き声に気づいたからということです。

古くから「子どもは泣くのが仕事」と言われてきましたが、昨今では、近隣から「子どもの声がうるさいから反対」と言われ保育所の建設を断念したという自治体もあり、時として子どもの泣き声が迷惑の対象となることも少なくありません。

そんな中、横浜の市営バスの車内でこんな心温まることが起きました。そのバスには15人ほどの乗客が乗っていましたが、乗客の中の母親の腕に抱かれた赤ちゃんがぐずり始め、母親がどんなにあやしても、赤ちゃんは手足をばたつかせ泣き声はどんどん大きくなるばかり。そこへ突然、運転手からこんな車内アナウンスが・・。

「お母さん、大丈夫ですよ。赤ちゃんですから気になさらないでください。きっと眠いか、おなかすいているか、おむつが気持ち悪いか、暑いかといったところでしょうか」

この運転手は、迷惑をかけないよう何とかしたいという母親の焦りをひしひしと感じ、今後バスや電車を使うのをためらうんじゃないかと心配になったから声をかけたそうです。

子どもは泣きながら育つ。幼稚園でもたくさん泣いて、たくさん笑って成長する。泣き笑いの毎日が我々のかけがえのない日々です。その思いを共有できる社会であってほしいものです。
~主役は子ども~ 2016.04.18
「川は、岸のために流れるのではない。川のために岸ができているのだ」

私の尊敬する教育者のひとり、東井義雄先生の言葉です。川を子ども、岸を幼稚園と置き換えるとよくわかります。いつでも主役は子ども達です。その子ども達のために幼稚園はあるのです。決して幼稚園のために子ども達がいるのではありませんし、教育は子どものために存在するのであり、教師のために存在するものではありません。当たり前のことですが、この原点を意識するかしないかで保育内容は大きく変わってきます。

例えば、岸から多少はみ出た川の流れがあるとしましょう。それをどう対処するかは幼稚園しだいです。我慢や辛抱を嫌い、待つことをせずに、すぐに結論を出そうとすれば、はみ出た川の水は堰止められ、やがて涸れてしまうでしょう。果たしてそれで子どもの気持ちをつかむことができるでしょうか。子どもから信頼を得ることができるでしょうか。

もちろん基本的な生活習慣などを身に付けるには、ブレない本流に水を流さなければなりません。しかし、そこに至るまでは、お互いの信頼関係が必要です。強制するだけでは信頼は生まれません。我慢強く辛抱強く「明日はきっと…」という希望をもって、あきらめずに子ども達と向き合うことで、信頼が生まれ、どんな川の流れもやがて本流に流れていきます。ですから、まずは、どんな川の流れも受け止められるかが問われるのです。

出来る子だけがすばらしいわけではありません。長所がよくて短所がだめではないのです。もちろん長所を伸ばして短所をなくす努力は大切ですが、まずは長所も短所もまるごとひっくるめて、その存在そのものが長所であると受け止めることが川のための岸作りだと思うのです。主役は子ども。当園はこれからもいかなる川の流れにも対応できる幅広い岸づくりを目指していきます。
~卒園式~ 2016.03.15
出来なかったことが
出来るようになった

分からなかったことが
分かるようになった

証書を受け取る
一人ひとりの輝く瞳は
その成長の証

心も体も大きくなって
門出を迎えた今日の良き日

入園式では子が泣いて
卒園式では親が泣く
みんな育ってみんないい
~「ただいま」と「おかえり」~ 2016.03.04
先日、新聞をながめていると、ある記事に目が留まり、思い出した話を紹介します。
ある単身赴任の父親が久しぶりに我が家に帰宅。その日は、まだ早い時間だったので家には誰もいませんでした。徐に自分の部屋に行き荷物整理をしていた時のことです。不意に玄関が開く音がしました。そして次の瞬間「ただいまーっ!」という声、そうです。ひとり息子が学校から帰ってきたのです。

父親はその時、整理していた荷物を持つ手が震え、こみ上げてくる涙を堪えるのに必死でした。
毎日、誰もいない家にひとりで帰ってくる我が子。母親も仕事なので誰もいないことが当たり前になっている我が家では息子を「おかえりーっ!」と迎えてくれる人はいない・・。なのにこの子は・・毎日このように帰ってきているのか・・。ひとりで「ただいまーっ」と・・。

冒頭の話に戻ります。新聞には「「おかえり」が教えてくれた気持ち」というタイトルで小学校4年生の作文が紹介されていました。この子の父親も海外で単身赴任、そして毎回、家に帰ると「ただいま」の代わりに「おかえりー!」と言うので、家族全員が「おかえり」の大合唱になるそうです。

では、なぜ「おかえり」なのか。その理由は、自分がいつも一番最後に帰ってくるので家族に「おかえり」と言ってあげられないからだそうです。そしてこの子はこう言います。「おかえりは人を温かい気持ちにさせて、元気にしてくれる言葉なんだ」「夜遅くまで仕事をがんばって、休日もむずかしい顔でパソコンをみている。単身赴任先ではきっと誰にも「いってらっしゃい」や「おかえり」と言ってもらえず淋しかったはずだ」「ぼくは、そんなお父さんに感謝の気持ちを込めて伝えたい」「おかえり!お父さん」

いかがでしょうか。「ただいま」と「おかえり」たったそれだけの言葉ですが、それが家庭にあるかないか。家族の絆とは日々交わす言葉に表れることをあらためて感じたお話でした。

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