あすなろコラム

~新年の誓い~ 2026.01.01
新年を迎えて、最初にお出かけする場所と言えば‐初詣ですかね。お正月の風物詩、全国所々方々の神社に多くの参拝者が心晴れやかに訪れる姿は、みやびな大和風情を醸し出してくれます。

さて、その初詣ですが「何のために?」と問われると、神様にお願い事をするため。と答える方がほとんどでしょう。健康のことや、志望校への合格、仕事の成功や商売繁盛、はたまた、恋愛の成就など‥その内容はさまざまです。それはそれで決して悪いことではないのですが、本来、初詣とは神様にお願い事をするのではなく、日頃の感謝を伝え、今年一年の自分自身の思いや行動を神様に宣言し誓いを立てるために参るというのが正式だそうです。

たとえば、どうしても合格したい試験や面接があって、神社にお参りに行くとします。「神様、どうか受かりますように」というのがお願いであり、いわゆる神頼みです。そうではなく「私は絶対受かるために努力しますので、どうか見守りください」というのが決意であり、聖なる誓いになります。

つまりは「神様に頼んだから大丈夫」と丸投げするではなく「神様に誓いを立てたからには、本気で頑張るぞ」という思いで努力することが大切で、加えてそれが、決して手を抜いたり途中で投げ出したりしないという神様との大事な約束事にもなるのです。

そして、日本人のマナーの良さや道徳心が、心のどこかで「神様に見られている」という意識のためだとすれば「お天道様が見ている」の言葉通り、誰も見ていない人道に反する行為でも、神様はちゃんとお見通しなので、嘘やごまかしは通用しない。さらに言えば、ごまかしが通用しないのは、神様以外にもう一人いる。それは自分自身。自分の心だけは、ごまかせません。なぜなら、もし嘘をついて人を騙したとき、それが真実ではないことは自分が一番わかっているからです。お天道様を常に意識し、自分の心を偽らない。それこそが、神様への普遍的な誓いになるのではないでしょうか。

縷々述べさせていただきましたが、最後に私事を申し上げますと、昨年の2月に念願の伊勢神宮へ行って参りました。「日本人に生まれたなら、一生に一度はお伊勢さん」とよく言われますが、なんとこの神社「おみくじ」がありません。それは何故か?‐ 答えは『伊勢神宮に参拝できたこと自体が大吉なので「おみくじ」を引くまでもなく、今日の参拝を迎えられただけで全員が大吉』だからだそうです。なんと全員が大吉っ!‐そんなご利益のある場所があなたの身近にもあるとしたなら‥。『あすなろにいるだけで、みーんな大吉!』‐今年一年が、そのような年になればと心から願っています。
~頑張ったあなたへ -聖夜のつぶやき- ~ 2025.12.19
令和7年師走のクリスマス・イブの夜、あなたの枕元へそっとプレゼントを置いた私は、すやすやと眠る寝顔を見つめながら、いろんなあなたを思い出しました。

あなたが私のもとへ生まれてきてくれた日、初めての添い寝をした日、ちいさな手に人差し指を入れると、やさしく握り返してくれた日、ほっぺがマシュマロみたいに気持ちよく何度もさわっていた日、かわいい虫笑いの癒し顔でときどき体を「ぴくっ」とさせる寝姿に「何の夢を見てるのかな~」と思いめぐらせた日、抱っこをして体を揺らすと、うれしそうに笑ってくれた日、あなたのそばにいるだけで、とても幸せな気分になれた掛け替えのない日々‥。もちろん、突然の夜泣きで何度も起こされたり、ミルクを吐いたり、高熱を出して心配したこともあったけど、こうしてあなたと出会えたことが、私の最高の喜びであることは間違いありません。

そうして、幼稚園に通うようになったあなたに、事あるごとに「頑張れ!」とか「大丈夫!」と言ってきたけれど、何をしてもうまくいかないときもあったね。あなたは一生懸命に頑張っているのに‥うまくいなかない‥なかなかできない。それなのに私は‥ただひたすら「頑張れ!」って。あなたは不安や悲しみや口惜しさがいっぱいの海で溺れそうなくらい藻掻き苦しみ頑張っていたのに、いつ破裂してもおかしくないほど膨らみすぎた風船のようにパンパンだったのに。

『一見、善意や励ましに聞こえる「ねえ、大丈夫?」とか「頑張ってね!」の言葉が、相手の心を崩壊させることもある』ある本にそう書いてありました。たとえば、大丈夫じゃないとき、誰かに「大丈夫だから!」とか言われても、まったく「だいじょばん」ときだってきっとある‥。ましてや、心が折れてしまったときに「元気ですかー!」とか言われても‥‥アントニオ猪木じゃあるまいしね。

そこで私は、ようやく気づきました。そばにいるだけで幸せだったあの頃を忘れてしまっていたことを。成長すればするほど、あなたにもっともっとと求めすぎていたってことを。励ますばかりじゃなく時には黙って寄り添う温もりが必要ってことを。一緒に泣いて人に弱さを見せるのも強さだって伝える大切さを。だって強さも弱さも優しさも厳しさも全部ひっくるめて生きているってことだから。

ときに失うことがあっても、そこから得られるものも必ずある。人は失敗を繰り返し成長するのだから、ありのままを認めて受け入れれば、何だって乗り越えられる-これからもずっと。だから、今日まで頑張ってきたあなたへ―心からの敬意を込めて私はつぶやいた。 -Happy Christmas to you-
~許すということ~ 2025.12.01
間違いを犯す自由がなければ、自由は持つに値しない――― 。
この言葉は、不完全な存在ゆえに「間違い」を犯し、傷ついては苦しむ私たちを、あたたかな眼差しで優しく包み込む「ゆるし」の力を持っています。

たとえば、あなたの左右の肩に天使と悪魔がいて、それぞれが「こっちよ‐こっちへおいで‥」と囁いたとき、どちらが天使で、どちらが悪魔かは、意外とわからないものです。つまりは、標(しるべ)のない道を手探りで進んで行かねばならないとき、右か左か、上か下か‐いったいどちらが正解か‐わからないとするならば、どの道を選択するかは、その人の自由であるべきで‐「正しかった」「間違いだった」は、ひとつの結果でしかないときだってある――ということです。

人は間違いを犯すし失敗もする‐いやむしろ間違いや失敗から、さまざまな学びや教訓を得て成長をする生き物なのです。なかには、身勝手なエゴや自我に染まったあらゆる欲に目がくらみ罪を犯すこともあるでしょう。絶対に許せない‐絶対に許されるべきではない、そんな罪を犯す人だっています。

今から45年前の1980年12月8日、ニューヨークの高級住宅街ダコタハウスで事件は起こりました。ジョン・レノン殺害のニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡り、一瞬にして最愛の夫を失ったオノ・ヨーコさんは、当然ながら犯人を絶対に許せなかった。当時を振り返ったとき、彼女はそう口にしては、誰も救い出すことのできないほど深い悲しみの底に沈んでしまいます。皆さんも経験あると思いますが「絶対に許せない」という感情はとても強固な存在で、ちょっとやそっとで、どうなることではない。しかし、そんな彼女の心を救ったのは「ゆるし」だったのです。

いくら人を責めても憎んでも恨んでも、悲しみや苦しみからは決して逃れられない。そこで彼女は祈ったのです。-Bless you-あなたのために私は祈る。好きな人のみならず嫌いな人の幸せをも祈る。そして気づきました。祈ることで、いつの間にか自分の中の悲しみや怒りが消えていき‥人のために祈ることが、自分を救う祈りになっていたことに‥。そこからはじめてすべてを「ゆるす」気持ちが芽生えていったことに‥。犯した「罪」は「罰」ではなく「ゆるし」という形で「負」から「正」に浄化する。もちろん、犯した過ちは、自ら償い改めなければならない。孔子の言葉を借りるなら「過ちを改めざる、これを過ちという」の通りです。しかしどんな「過ち」もそれを改めようとしたとき、本人の努力はもちろんですが、最後に求められるのは、あたたかな眼差しで優しく包まれた「ゆるし」の心ではないかと私は思います。 ―「ゆるす」ことで過去は変わらないけど、未来はきっと変わる―
~Pay it forward~ 2025.11.01
~世の中には目に見えるものと見えないものがある。たとえば、ある人が胸に抱いた「思い」は目には見えないが、その「思い」が行為になったとき、はじめて「思いやり」として相手に伝わる~

2014年、アメリカフロリダ州のスターバックス店舗でこんなことがありました。ドライブスルーの利用客が、次の客にアイスラテのトリプルグランデをおごったことがきっかけとなり、後続の利用者にコーヒーをごちそうする「善意のリレー」のバトンがつながり、店長さんいわく、このリレーはおよそ11時間にわたって続き、ごちそうされたコーヒーの数は、なんと457杯にも達したそうです。

「恩返し」という言葉がありますが、これは、ある人から授かったご恩をその人に返す‐いわゆる「ご恩のキャッチボール」のようなもので、むかし話でいえば「鶴の恩返し」が有名ですね。しかし、授かったご恩を相手に返すのではなく第三者に送る(贈る)「恩送り」という行為もある。それを「ペイ・フォワード‐Pay it forward」といいます。

じつは、このスタバの出来事からさかのぼること十数年前に「ペイ・フォワード 可能の王国」というアメリカ映画が公開されましたが、この映画を観た人が、時をこえて、スタバの「善意のリレー」を思いついたかどうかは別といたしまして、映画の中では、中学生の主人公が授業中に先生からこんな質問を投げかけられます。

「もし君が、自分の手で世界を変えたいと思ったら・・何をする?」

そこで彼は、黒板に図解を交えながらこう答えて先生や生徒たちを驚かせます。「善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の三人に送る(贈る)。そうすれば、ひとりの善意が三人に、三人の善意が九人に‥という具合にどんどん広がっていき、きっと世界は変わると思う」そして自ら実行に移しますが‥なかなかうまくいかず「これは失敗だったのでは‥」と思い始めたところで奇跡が起こります。なんと彼の知らないところで善意のバトンが人から人へ次々と受け継がれていったのです。

もし、この発想が悪意に満ちていれば犯罪につながりますが、善意に満ちていれば生きる力や喜び、そして未来への希望を繋ぐリレーになる‐と私は思います。なぜなら、生きることは誰かに借りをつくり、その借りを返すこと。誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげること。それが人の生きる道。-人はひとりでは生きていけない、誰もひとりでは歩いていけない‐からなのです。
~伸びしろ~ 2025.10.01
‐「可能性は無限大」‐誰もがこの言葉を一度は耳にしたことがあると思います。だから人は目標に向かって日々コツコツと努力し続ける。結果が失敗に終わったとしても、それはあくまでその時点までの結果であって、諦めないでいるかぎり、目標達成の可能性はまだまだ続く。それが「無限の可能性」という意味だと私は思います。

今年8月に日本人として初めてアメリカ野球殿堂入りを果たしたイチロー選手が小学6年生のころ書いた作文「夢」はあまりに有名ですが、彼は殿堂入り表彰式のスピーチでこのような話をしました。

『今、もし作文を書き直せるなら、「夢」という言葉ではなく「目標」という言葉を使うでしょう。「夢」は必ずしも現実的ではありませんが「目標」はどうすれば到達できるかを深く考えれば実現可能なものだからです。

そして「夢」を見ることは楽しいことですが「目標」を持つことは困難で挑戦的です。「何かをやりたい」だけでは足りません。本気でやるつもりなら、どうすれば達成できるかを真剣に考え実行しなければなりません。私は作文の中で「プロになるには毎日の練習と準備が大切」と書きました。それは目標を定めて努力する中で「継続こそが成果の土台になる」ということを学んだからです。

ですから若い選手たちには、大きな「夢」を持ってほしいと思います。そして同時に「夢」を「夢」で終わらせるのではなく「目標」にするすることが大切と伝えなきゃ「えっほ、えっほ、えっほ!」』

「為せば成る‐為さねば成らぬ何事も-成らぬは人の為さぬなりけり」と言った上杉鷹山や「失敗を失敗のままで終わらせれば失敗、成功するまで続けることができれば、それは失敗ではなく成功です」と言った松下幸之助。このふたりも諦めない気持ちの中に無限の可能性があると説いています。

そしてイチロー選手のスピーチを聞いて私が気づいたことは、最初から「伸びしろ」のある人なんていないということです。伸びしろとは目標に向かって努力する中においてのみ存在する。加えて謙虚な姿勢と自分を信じる心、諦めない気持ちがあれば、野球に限らず、あらゆる世界で挑戦し続けている人の可能性は無限大で、伸びしろのある人とは努力することにおいての「天才」なんですね。
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