あすなろコラム

~夏は夜~ 2026.07.21
突然ですが、最近購入したお気に入りの本をご紹介します。タイトルは「いとエモし」-エモい-という言葉が、SNSなどでよく使われるようになりましたが、そのままズバリ「emotion-感情」がぐらぐらと揺さぶられるような感覚が味わえるイラストや文章がいっぱい詰まった素敵な本です。人生をより深いものにするためには、この「エモい」という感覚を味わうことはとても大切‐。という観点から、日本古来の純文学の「エモい」名フレーズを「超現代風」に翻訳したのが、この本なのです。

たとえば、清少納言の「枕草子」―― 皆さんも何となく「むかし学校で習ったなあ~」と言う記憶はあると思いますが、その中に夏のことが語られている文章があります。

夏は夜。月の頃は さらなり。闇もなほ 螢の多く飛び違ひたる。また ただ一つ二つなど ほのかに うち光りて行くも をかし。雨など降るも をかし。

これを「いとエモし」風に訳したら下記のようになります。

夏は、もう絶対、夜だわ。しかも満月が近い夜ほどいいのよ。でもね、月が出てなくても意外といいかも。だって、真っ暗な中、蛍がそこら中にいっぱい飛んでるって、もうサイコーじゃないかしら。あっ、もちろん、たくさんじゃなくて1~2匹、ほのかに光っているのもエモいのよね~。何なら、雨が降ってもいいわ。しとしとと降る雨に湿った空気のにおいが「夏!」って感じしない?ついでに言うならさあ、蚊取り線香に、夜空に花火ときたら、まさに「キンチョーの夏‐日本の夏」だよね~。だから夏は夜で決まりだわ。(※本文から抜粋を私なりに多少アレンジ)

いかがでしょう。昭和世代の「キンチョーの夏」は別として、これなら今風の子供達の心に「いとエモい夏」の感覚が伝わりやすい表現ですよね。ちなみに清少納言さん、わたしはずっと男性だと思い込んでいましたが、実は女性です。ですからこのエモい訳も必然的に女性言葉で綴られていますが、もし‥もしもですよ、清少納言さんが男性で、オネエ系言葉を使って書いたとしたら、それはそれで「キモい!」-もとい「エモい!」のかもですね(笑) あとご存じでした? 清少納言の名前の区切り方は「清少-納言」ではなく「清-少納言」だそうですよ。そんなこんなで、話は尽きませんが、皆様方も是非、この夏「いとエモい」素敵な思い出をたくさん作っていただければと願っています。
~みんな育って みんないい~ 2026.07.01
子どもの「成長」と言えば、まずひとつに体が大きくなるってことですね。身長や体重はもちろん足のサイズなどがどんどん大きくなり、ちょっと前の服などが、すぐに入らなくなってしまう。そんな時、わが子の成長の早さに驚くとともに、ちょっとした喜びを感じるわけですが、これが大人の場合になると、話は別でして、お気に入りの服を久々に着て鏡を見た瞬間「げげっ!」と一言。「ぱっつんぱっつん」の自分の姿に‐まったく喜ばしくない成長?‐を感じてしまうこともあるので…体の成長は「子ども限定」であってほしいものです(笑)

そして、もうひとつの成長とは「出来なかったことが出来るようになる」ということです。言うまでもなく子どもは日常生活の中で、さまざまな経験を通して「出来なかったことが出来る」ようになっていきます。歩いたり走ったり、言葉を覚えて会話をしたり、歌や演奏を楽しむ。それぞれの成長のペースに違いはありますが、どの子もみんな「出来なかったことが出来る」ようになる。ですから幼児期とは、まさに「みんな違って みんないい」=「みんな育って みんないい」という世界なのです。

しかしながら、これまた‥わたくしの場合となると話は別でして、最近は歳のせいでしょうか、子どもとは真逆に「出来ていたはずのことが出来なくなってしまった」と実感することが多くなってきました‥。加えて、何かをやろうと思って、動き出してはみたものの、途中で「あれれ?! 何をしようとしたんだっけ?」となることもしばしばでございます。トホホホ。。。

さて冗談はこのくらいにして、話を元に戻しますと、子どもの成長にとって大切なのは何といっても「環境」です。そしてその環境とは、子どもの「意欲」を育てるものでなければなりません。最初は簡単なことから始めて「出来た喜び」を味わう。子ども自らが感じるこの喜びこそが明日への「意欲」につながるのです。「無限の可能性」とよく言われますが、その扉を開くのは「意欲」なのです。「出来る喜び」→「意欲」→「みんな育って みんないい」 これらのすばらしき循環の世界が、子どもの育ちに必要な「環境」と言えるでしょう。

さらには「意欲」の芯に火を灯し「やればできる」という可能性の扉を開いていくためには、大人や仲間の「励まし」も大切です。「ほめて・みとめて・励まして」これこそが日常の保育はもちろん、さまざまな行事への取り組みの中で、私共保育者が目指すべき人的環境だと私は常々思います。
~慈雨と紫陽花~ 2026.06.01
そぼ降る雨に、あじさいの花がしっとりと色鮮やかに咲く季節-6月を迎えました。絵の具の筆を何度も丁寧に重ね塗りしたような紫や薄紅色のグラデーション。ぽつりぽつりと軒から落ちる雨の雫にその花びらを揺らしながら静かに潤い佇む姿は、まさに水も滴る艶やかさと気品を漂わせ、しばし時を忘れてぼんやりと眺め続けてしまうほどの美しい雨の情景です。

-あじさいの花ほど、雨が似合う花はない- ふつう、花と言うのは、晴れた日に太陽の光を浴びて嬉しさのあまり思わず笑みがこぼれるように咲いている姿がいちばん可愛らしくもあり美しくもある。- はずなのですが「あじさい」だけは‥‥何となく違う気がするのです。「あじさい」を漢字で書くと紫陽花ですが「雨時彩」または「雨慈彩」と書いて「あじさい」と読むのがふさわしいほど、雨がとてもよく似合う花ではないかと私は思います。

そして6月は和風月名(旧暦の月名)で「水無月」といいます。「えっ、6月は梅雨入りの時期で雨が多いのに‥どうして?」と、違和感を覚える人も多いと思いますが、水無月の「無」は「ない」ではなく「の」という解釈で、水無月は「水の月」を意味するそうです。また、この時期は田植えのシーズンでもあり、田んぼに水を引くのに欠かせない雨水は、何よりもありがたい天からの恵みです。宮沢賢治が「雨ニモマケズ」という詩の中で「日照りのときは涙を流し‥」と詠ったのは、時に降る雨を憂いながらも、祈りをささげる日もある。そんな雨に対して、畏(おそ)れ敬(うやま)う畏敬の念と頬を伝う涙のような慈しみの気持ちを持っていたからではないでしょうか。

「水は生命の源」であり、太古の時代から雨は物理的にも精神的にも生命の渇きを潤すほどの慈しみを与えてきた。もし雨に「こころ」があるとするならば、これを「慈雨」と呼び、その慈愛に満ちた雨心を地上に咲かせた花-それがきっと「あじさい」なのでしょう。加えて「雨の心」をその名に宿した詩人‐野口雨情は、彼の代表作である童謡「シャボン玉」で、シャボン玉を飛ばして無邪気に遊ぶ子どもの姿を描き、夭折したわが子への鎮魂を込めたと言われていますが、実はシャボン玉というのは、何と晴れた日より雨の日の方がいつまでも割れずに長持ちするそうです。人の心を乗せたシャボン玉が、やさしい「慈雨」に包まれて、いつまでも消えることなく空から地上に舞い降りて「あじさい」になったとすれば、やっぱり「あじさい」の花は雨がよく似合います。
~五月の風~ 2026.05.01
海を渡り~山を越え~広大な草原を走り~世界中を旅してきた風が、五月の陽だまりに、まばゆく光る新緑を優しく揺らしています。その風を水代わりにして元気に泳ぐ鯉のぼり。そして、どこまでも続く青空に浮かぶ白い雲は、吹く風に「今日はどこ行くの?」と行き先を尋ねながら、ゆっくりと流れていきます。

五月は皐月「さつき」とも呼ばれ、木々の緑が豊かに色濃く輝く季節です。ちなみに昭和生まれの人は、これを「五月みどり」といい、澄み切った美しい空に「ぴ~ひゃら」と鳴きながら高く舞うヒバリを「美空ひばり」いいます。「~♪あーあー 川の流れのよーうに♪~」

スベッたところで、気分を変えて、ベランダに佇んで空を見上げると、浮かぶ雲ひとつひとつに決して同じ形がないことに、あらためて気がつきます。そんな雲のように、その日ごとに違った様子や表情を見せてくれる子ども達。晴れた日の雲はふわふわ真っ白でも、雨の日にはどんより重そうに浮かんでいる。しかし、晴れても曇っても雨が降っても、空に浮かぶすべての雲をやさしく導く風のように、子ども達一人ひとりの心に寄り添っていければと思います。

そして、五月といえばゴールデンウィークですね。幼稚園はお休みの日が続きますが、外出先で吹く風が、やさしく子ども達に語りかけてくれるとしたら、その風はきっと幼稚園の先生達でしょう。「〇〇くん、今日どこで遊んでいるかなあ~?」とか「〇〇ちゃんは、何しているかなあ~?」という思いが、風に乗ってみんなのところへ運ばれる-そんな先生達の気持ちをしたためた「風の便り」を感じてくれたらうれしい限りです。

さて、博多の街では65回目を迎える博多どんたく港まつりが開催されます。今年は「どんたく復活80年」の節目の年らしく国内外から個性あふれる14団体の1,300名を超える多彩などんたく隊が参加するそうですが、実は-「な、ななんと!」このわたくしも「出るんです!!」しかしながら、何しろこの私‥根っからの小心者で恥ずかしがり屋さんなので、もしパレードで私を見かけた時は、どうかお構いなく、その場を通り過ぎる風のように素知らぬ対応をしていただき、間違っても「あっ!園長先生だ!」と叫ぶことなきよう切にお願いする次第でございます(笑)
~春来る~ 2026.04.01
窓を開けると、ふんわりとした柔らかい風がレースのカーテンを靡(なび)かせながら、部屋中に春のぬくもりを届けてくれます。目覚めの季節にふさわしい陽光のシャワーを浴びながら両手を大きく伸ばして深呼吸すると、すべてが生まれ変わったような新鮮な気分に包まれる4月は、入園・入学や進級などの新しいスタートにもっともふさわしい時期である。―― と常々私は思います。

ちなみに、欧米の新学期と言えば9月ですから、昨今の日本の気候だと残暑厳しい折で「制服を着たとたんに‥あぢ~っ!」と感じる「汗だくの入園式や進級式」になってしまうことを思えば‥つくづく日本は穏やかな気候の春-4月でよかったと思いますよね。

さて、その春を人生にたとえるなら、やはり乳幼児期から学童期ぐらいになるのでしょうか。新しい生命が誕生し、陽だまりのような愛情にやさしく包まれながらスクスクと成長していく。いろんなものに興味を持ち、あらゆる経験を通して出来なかったことが出来るようになり、知らなかったことを知るようになり、生きる力がどんどんと養われていく。まさに生命の息吹に満ちた春を感じる時期なのです。その姿を想像しただけで幸せな気分になる子供の成長は、何物にも代え難い宝物ですね。今から1200年以上も前の万葉集にもこんな句が残されています。

銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(山上憶良)
(しろがねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも)
金・銀・宝石などの高価な物でも、子供という宝物に比べたら何のことがあろうか

そして、春が子供なら夏はギンギンギラギラ若者世代、でもって秋から冬は‥以下省略(笑)。なので、毎年春が来ると、子供心に戻るというか、童心に帰るというか、遠足の前日のようなウキウキした気分になる。明日へと続く道を歩けば、あちらこちらに笑顔の花。仮に今日咲かなくても明日にはきっと‥。だから春とは明日につながる今日が楽しみな子供のような季節なのです。

もしも夜寝る前に「明日が楽しみ」と思える日をたくさん迎えられる生き方が出来るとしたなら、これほど幸せなことはありません。この春、新しいスタートを切ったすべての皆様が、一日でも早く、そして一日でも多く、そんなワクワクドキドキするような「今日そして明日」を迎えてくれることを心から願っております。
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