
- ~1ではなく2~ 2025.02.01
-
暦は2月、何か新しいことが始まるのが1なら、そこから次の展開が始まるのが2です。1も大事ですが、1の次に2があるかないかが私はとても大事だと思います。そして何より2という数字が日本にとても馴染んでいる気がするのです。なぜなら‥‥ここは二ホン(2本)ですからね(笑)
冗談はさておき、かっこいい男性をイケメンと言いますが、かつては二枚目と言いました。かっこいい存在が一枚目ではなく、なぜ二枚目なのか‥?これを調べてみますと、由来は江戸時代の梨園(歌舞伎界)まで遡ります。当時は歌舞伎に出演する役者を一枚目から八枚目まで分けてその役目を表した。一枚目が主役で二枚目が若くて美男子で色男、そして三枚目が今で言うお笑い担当というわけです。
また1ではなく2ということは、単品ではなくセットになるので、何となくお得感が生まれてきませんか。飲食店で〇〇セットというのは今や定番メニューですよね。私も若いころは単品よりもセットを注文して満腹感を味わったものです。
野球で2番のポジションと言えば、守備の要であるキャッチャーですし、サッカーで2番のポジションは、センターバックと言いゴール前の真ん中の位置で相手ゴールを阻止する大事な役目を担う存在です。つまり2という数字はひとつのものをさらに大きく広げて、それをまとめるという調和や統合の意味があり、たったひとつではない、という安心感や温もりさえ与えてくれる包容力ある存在なのです。
「♪ひとりじゃないって~すてきなことね~♪」昭和のアイドル-天地真理のヒット曲にもあるように、もしあなたに「ひとりぼっちではなく、誰かがそばにいてくれたことが、何よりも心強かった」という経験があるとするならば、それが2の持つ偉大な力ではないかと思います。1が2になることで喜びは2倍、悲しみや憂いは2分の1になる。まだまだ寒い日が続く季節だからこそ、1ではなく2の安心感とほっこりした温もりで寒さをしのいでみてはいかがでしょう。
- ~はじまりは いつも白~ 2025.01.01
-
~初ごよみ 知らぬ月日は 美しい~
何か新しいことがはじまる時を色に例えるなら、その色は、きっと白だと私は思います。新年を迎え、お気に入りのカレンダーや手帳をはじめて開いた瞬間、目の前に現れるのは、延々と雪が降る長い夜のトンネルを抜けた朝、あたり一面が真っ白に包まれ、まるで時が止まったかのような静かで美しい景色。絵画に例えるならば、これからはじまる一年の日々がさまざまな色で描かれる前のまっさらなキャンバスとでもいいましょうか。
さて、昔から家庭や会社で一斉に取り組む恒例の年末行事と言えば大掃除ですが、そのルーツと言えば、すす払いだそうです。電気やガスのない時代、家の中はかまどや囲炉裏から出るすすで真っ黒になる。そこでこれらの汚れをきれいに掃(はら)い新年を迎える。これはまさしく新しくはじまる時を白で迎えたいという気持ちの表れなのでしょう。ちなみに「はらう」という言葉は漢字で「祓う」とも書き、掃除で汚れを掃うとは家中の「穢(けが)れを祓う」という厄除けの意味も含まれるそうです。また私が若いころ、ある先生からこんな話を聞いたことがあります。
「トイレや花壇がきれいな学校は 決して荒れることがない」
生徒はもちろん先生も一緒になって黙々とトイレを掃除する。そのような学校で生徒が荒れるはずがありません。また「凡事徹底」で有名なイエローハットの創業者‐鍵山秀三郎氏も自らトイレ掃除を実践し「日本を美しくする会」を通じてトイレ掃除がもつ魔法の力を全国に広めていきました。学校の花壇もしかりです。花は枯れ雑草が伸び放題の花壇は生徒の心をもかき乱し気が付けば手が付けられないほど荒廃した学校になってしまう。
花のような人生を送りたければ花壇の世話を、そして新しいはじまりはいつも純白の心で迎えられるように身の回りの掃除を通じて心を磨ける一年になればと願っています。
- ~年の瀬のある夜に2024~ 2024.12.23
-
令和6年師走、間もなくクリスマスを迎えようとする寒い夜に、今年もまた、あのふたりのおっさんが屋台でしんみりお酒を飲んでおりました。
A「しかし、何やなあ~。最近はインフルエンザが大流行しとるらしいな」
「コロナが落ち着いたと思えば、今年はインフルかいな‥」
B「ほんまやな‥」
「そー言えば、お前もかかっとったな?インフル。大丈夫やったんか?」
A「おう、今はすっかりよーなったけど‥あの時のしんどさって言うたら‥」
B「そら、そーやろな。で、なんがいちばんしんどかった?」
A「嫁はん」
B「はあ? なんや、それ‥。どういうこっちゃ?」
A「聞いてくれるか‥あれは俺が熱を出して帰宅した時のことや。ほんまにしんどかったから、嫁もすぐ気づいてくれてな‥」
B「ほう、そりゃ心配しはったやろ?」
A「ふつうはそうや。「あなた、大丈夫?」とかな。そやから俺はその言葉を期待して「熱がある」って嫁にいうたんや」
B「ほう、それで?」
A「最初に発した言葉がこれや。「げーっ!マジ?!」」
「そっから次から次に出るわ出るわ。「なんで?」とか「もう、最悪!」とか「絶対うつさないでね。子供の発表会が近いんだから!」」‥‥‥「まるで俺は‥バイ菌や」
B「くわばら‥くわばら‥」
「女は弱し、されど母は強し」これは「レ・ミゼラブル」で知られる文豪ユゴーが残した言葉です。どんなにかよわき女性でも、わが子を守るためには、たとえ火の中、水の中、あらゆる困難をも蹴散らす力を発揮する。というわけで‥世の中のお父様方、年末年始にむけて何かとお忙しいとは思いますが、くれぐれも体調を崩されませんようご注意ください(・ω・)。
- ~還暦~ 2024.12.01
-
~真の心の安らぎとは、私利私欲に満たされた時ではなく
自己反省と寛大な慈悲の気持ちが芽生えた時に初めて得られる~
あんなに暑い日が長く続いた夏も終わり、足早に通り過ぎた短い秋、そして季節は冬を迎え今年もいよいよ最後の月-師走となりました。
そして私事ではございますが、今月ついに還暦の60歳を迎え、その心は‥と人に問われたならば、単に馬齢を重ねてきただけのことで、その道は至らないことばかりの連続だったのではないかという自責の念に堪えません。
人が生きていくうえで大切なことは、計画や目標を持つことなどと言われますが、それには「何のために」という公明正大な目的が必要です。しかし、この目的の持ち方を誤ってしまうと、あらぬ道へ向かってしまいます。つまり公明正大とは程遠い他人を羨んだり妬んだりする心や自分さえよければという利己的な心に覆われた目的となってしまうのです。
私自身、今までの人生を振り返ってみたときに、そのようなことがあったんじゃないか、それに気づけなかった自分が恥ずかしい‥最近素直にそう思えるようになりました。しかし孔子の論語にある「過ちを改めざる‐これを過ちという」の言葉どおり、自分の過ちに気づき、反省をし、新たな一歩を踏み出す勇気も生きていくうえでは必ず必要です。
人は大なり小なりの失敗や過ちを犯すもの。肝心なのはそれをその後の人生にどのように活かせるか。人が生まれ変わるその時が還暦だと言うならば、今こそがその時で、自分の60年の人生を大いに反省して、何事にも感謝と慈悲の気持ちと謙虚な姿勢を忘れずに生きていければと思います。
そこで近いうちに日本人の総氏神「天照大神」が祀られている伊勢神宮に足を運び、還暦のご報告と残された人生を少しでも安らかな気持ちで過ごせるよう手を合わせて参ります。
- ~今そこにある幸せ~ 2024.11.01
-
あれはコロナが蔓延する少し前のころだったでしょうか。ある先生が私のもとへやってきてこう告げました。
「あの~ご相談したいことがあるんですが‥今よろしいでしょうか?」
直立不動の緊張した面持ちで私の前に立つ彼は、何やらただならぬ雰囲気を醸し出しながら意を決したようにこう続けました。「実は‥好きな人がいてプロポーズしたいんです」私はすかさずこう答えました。「俺は無理だぞ。妻子ある身だし‥あきらめてくれ」
私の返事に驚き唖然とする彼。まさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔でした。そこで私は「なんでやね~ん!」と自分のボケを自分で突っ込むというひとりボケ突っ込みを演じてその場の空気を和ませた次第です。
さて本題。その先生の相談とは婚約指輪にいったいいくらぐらいかけたら‥?ということでしたが、さて皆さんならどう答えますか?
わたくしは常々こう考えています。-世の中で最も価値があるものは決してお金では買えない-いったいそれは何かといえば「愛」です。子供達が大好きなアンパンマンは愛と勇気が友達ですし、喜劇王のチャップリンは人が生きていくために必要なものは勇気と想像力そしてほんの少しのお金と言いました。お金はほんの少しでいい。それよりももっと大切なものは「愛」だと私は思います。浜田省吾「丘の上の愛」の歌詞はこうです。
♪愛が買えるなら その涙の理由(わけ)をきかせて そのためいきの理由(わけ)をきかせて♪
無償の愛に満ちたパートナーや子供、そして家族。無償の愛に包まれた場所こそが人を幸せにする。そして、その場所はあなたのすぐそばにきっとあるはずです。
※ちなみに彼にはこう答えました。お金で買える指輪よりもお金で買えないあなたの言葉で一途な思いを告げなさい。
1 / 2412345...1020...»最後 »