園長の本棚

「マイライフ」
2022.09.13
「私の人生なんだから、私の好きなようにして何が悪いの!」そう言って、傘も持たずに玄関を飛び出した私は、悔し涙と雨でずぶぬれになりながら、行く当てもなく通りを駆け抜け、気が付けば、学校帰りによく立ち寄る駄菓子屋さんの前に立っていた。

「どうしたのよ!」そう言うなり店のおばちゃんは、私を中に引っ張り込み、ストーブの前に座らせタオルを持ってきてくれた。「おばちゃん、わたし‥もう、どうしたらいいのかわからない‥」

小さい頃から歌が大好きだった私は、流行りの曲を振付まで完璧に覚えては、家族や友達の前で歌っていた。そして中学の時に、地元の祭りで開催されたのど自慢大会で優勝したのを皮切りに数々のコンテストで入賞を果たし、高校生になってからは、本格的に歌のレッスンを始め、ついに、あるバンドのリードボーカルの誘いを受けた。それからの毎日は、週末のライブ、そのための練習と、まさに音楽漬けの生活。しかし、そんな私を父は決して認めてくれなかった。

それでも地道にバンド活動を続けていた高3の12月にメジャーデビューの話が舞い込んできた。有名なレコード会社との契約。バンドメンバーは歓喜の声を上げ、その夜、行われた特別ライブでは地元ファンも大喜びしてくれた。友達も母も姉も。もちろん、駄菓子屋のおばちゃんも。父以外はみんな。

「ねえ、わたしが間違っているの?」おばちゃんが出してくれたスウェットに着替えて、ストーブの前に座り直した私がそう尋ねると、おばちゃんはこう言った。間違ってないよ。だけどね、大事なことを忘れている。「えっ‥大事なこと?」うん。それはね、人は誰しも自分の意志や自分だけの力で生まれてないってこと。だから、自分の人生といっても、自分だけの人生なんてないんだよ。あなたのご両親、そのまたご両親がいなかったらあなたは生まれてない、そのことはわかるよね?「うん‥。でも‥だからと言って自分の将来ぐらい自分で決めたって‥」

自分の将来は自分で決める。それ自体は間違いではないんだよ。でも、自分だけの人生だから自分だけで決めていい、となると少し違う。「じゃあ、どうすればいいの?」それを知りたければ、家に帰ってあなたのアルバムを見てごらん。答えはきっとそこにあるから。

「本番、5分前でーす!」楽屋にいる私にスタッフからの声がかかる―。

あの日、家に帰ってアルバムを見ていたら、父との諍いで流した涙と違う涙があふれてきた。祖父母や両親に囲まれて笑っている幼い私。おもちゃのマイクを持った私を膝に抱えている父、お馬さんや肩車をしてくれている父、自転車の乗り方を教えてくれている父。「あなたは、決してひとりで大きくなったんじゃないのよ」アルバムの写真がそう語りかけてくる。そしてようやく気が付いた。コンテストの入賞経験やプロデビューの話は、私ひとりの実力だと自惚れている間に忘れてしまっていた大事なこと。それは、家族へのおかげさまという感謝の気持ち‥。

プロの世界は厳しい。特に芸能界ともなれば、ちょっと売れただけでも、ちやほやされて、つい有頂天になり、まわりへの感謝の気持ちを忘れてしまいがちになる。ましてや、いちばん身近な家族への感謝を忘れるようでは、きっと成功しない。父はきっとそれが言いたかったのだ。「お父さん、わたし‥。ごめんなさい」

今、私の目の前には、デビュー前の壮行会で父と一緒に撮った写真がある。それをいつも持ち歩き、本番前に必ずこう語りかける。今の私があるのは、支えてきてくれた方々のおかげです。そして、それを教えてくれたお父さん、あなたのおかげです。ありがとう。頑張ってくるね。

「本番、いきますよーっ!」

楽屋からバックヤードを通り抜けステージ袖へ。ドラムの激しいリズムに合わせてスポットライトが上下左右に揺れる。イントロのギターリフが鳴ると同時にセンターマイクに駆け出すと大歓声が私を包み込んだ。眩い光と歓声に満ちた私の人生のステージは、あの日からいつも家族と共にある。
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