園長の本棚

「あけられた場所」
2022.09.13

― 運命とは思いがけない出来事のなかにある。―

俺はその日、ものすごーくツイていた。有卦に入るとはこのことだ。パチンコ台に座ったとたんビッグの連チャン、付き合いで適当に買った大穴の馬券が見事に的中、その夜の麻雀では役満を3回もあがるほどツキにツキまくった。昨日までどっぷり漬かっていた憂き目の泥沼から這い上がった自分に吹いてくる追い風の勢いに驚く。バクチの世界ではこういう状態のことを“ウケ目に立つ”と言い、反対に何をやっても裏目、まったくうまくいかない状態を“クスブる”と言うらしい。そしてこの“ウケ目”と“クスブリ”は糾える縄の如しと言うか塞翁が馬と言うか運命の神様の気まぐれなサジ加減でコロコロ変わるのでやっかいなのだ。

一気に温かくなった懐具合に気をよくして睡眠不足も何のその仕事場へ向かった俺を待っていたのは親方からの見合いの話だった。「おめえもそろそろ身を固めたらどうだ?ちょうど紹介したい人がいるんだけどな」日頃から物心両面から微細に入り親代わりのように世話になっている親方からの縁談話なのでむげには断れない。「わかりました」と答えた俺の頭をよぎったのは「はたして、これは吉なのか‥凶なのか‥」

その日の仕事が終わると「かみさんの誕生日だからケーキを買ってきてくれ。俺はいつものとこで飲んでっから」親方にそう言われたので近所のケーキ屋に向かって歩いた。店に着くと女性や親子連れだらけの行列ができている。「うわっ、思いっきりアウエーだ‥」と一瞬足が止まったが親方からの頼まれごとだ。ここは行くしかない‥。意を決して列に並ぶ。

浮いている。ハッキリ言って浮いている。角刈り頭に黒Tシャツと作業ズボン、サンダル履きの四十手前のおっさんがひとり女性と子供しかいないケーキ屋の列に並んでいる。ここがもし女子トイレの列なら確実に不審者として警備員に連行されるだろう。なので、こんな時はひたすら下を向きスマホとにらめっこするしかない。目立たぬようにはしゃがぬように似合わないことは無理をせず‥。かなり無理しているけど。

「トントントン」不意に肩を軽く叩かれ後ろを振り向くと女の子を連れた母親が立っていた。「あの‥。前、空いてますけど」気がつくと列がかなり前に進んでいた。「あっ、すいません」と言ってすぐに詰める。すると今度は「おじちゃん、あいてるのに」と子供が言ってきた。「だからちゃんと詰めただろ‥?」と心でつぶやき子供に目をやるとトコトコと俺の前にやって来て「あいてるよ、ここ」と俺の股間を指さした。

「なんて日だ‥。まったくなんて日なんだ!」まわりからの失笑と真っ赤になっていたであろう俺の顔。帰りの道中、何度も恥辱が押し寄せ無性に叫びたくなる。ケーキ屋でまさかの窓全開‥。ありえない、まさに一生の不覚だ。どうやら昨日までの運はたった一晩で尽きてしまったらしい。ケーキ屋もあんな親子も二度と御免だ。こうなれば酒をあおって眠ってしまうしかない。忘れてしまいたいことやどうしようもない悲しさに包まれた俺は親方がいる店へと急いだ。

「ガラガラっ」店に入りカウンターに目を向けると居るはずの親方の姿がない。「親方はお連れさんと奥の座敷だよ」と大将に声をかけられ「お連れさん?あっそうか、誕生日だし、おかみさんと一緒か」と合点がいき座敷のふすまに手をかけると中から賑やかな笑い声が聞こえてくる。すでにずいぶんと盛り上がっているようだ。

「親方、ケーキ買ってきました」と中に入るとふたりに笑顔で迎えられた。「おう、ありがとさん」さっそく親方からビールを並々と注がれる。あんなことがあったので喉はカラカラだ。「誕生日おめでとうございます」おかみさんにそう言ってさっきのクスブリを振り払うように一気に飲み干した。と、そこへ突然障子戸の外から女性の声がする。「失礼しまーす!」

すぅーっと戸が開き姿を見せたのはなんとさっきの親子。「あ、ああーっ!」俺はその場で口を開けたまま銅像のように固まった。「お姉ちゃん久しぶり!」「おばちゃん、誕生日おめでとう!ハイ、これケーキ」はあ‥?お姉ちゃんにおばちゃん‥。てことはおかみさんの身内⁈「えええーっ!」銅像、耳がひび割れ崩れ落ちた。

寸時の沈黙後「な~んだ、知り合いだったの?」とおかみさん。「だったら話が早いわ。親方が紹介したいって言った人がこちら。実は年が離れた私の妹。娘を出産してすぐに旦那を事故で亡くして‥。でも、あれから五年。もうじゅうぶん喪に服したことだし、あんたに紹介するために私の誕生日に呼んだってわけ。ちなみに同い年よ」「ドカーン!」銅像、爆破され粉々になる。

「で、どこで知り合った?」と親方に聞かれた彼女は黙ったままうつむいていたので俺からケーキ屋での一件をかいつまんで説明した。親方、おかみさん大爆笑‥。二度目の辱め。すると黙っていた彼女が突然「あの~。私が空いてるって言ったのは列のことだったんです。ホントです。そしたらこの子があんなこと言っちゃって‥。でも、開いてたんですね‥。あそこの窓も」親方、おかみさん、再び大爆笑‥。しかも涙を流しながら。三度目の辱め。―頼む、もうそっとしといてくれ。このままじゃ俺の股間、いや沽券に関わる‥。―

「おじちゃん、あいてるよ」「えーっ!ウソ?」俺はすぐさま股間に目をやる。「そこじゃないよ」再び大爆笑‥。四度目の辱め。「あのね、ママのよこがあいてるの」「えっ!わたし?あら、いやだ」と言って今度は彼女がスカートのファスナーに目をやる。「ちがうって、ママのとなりがあいてるってこと」

「おじちゃん、あたしのパパになって。ホントのパパはあたしが生まれてすぐ死んじゃったから‥。あたしパパをしらないの。だからずっとパパがほしかった。ずっと、ずっとほしかった。ほいくえんでたのしそうにパパのはなしをするともだちがいっぱいいて。でも、あたしにはそんなパパがいない。だいすきなママはいるけど、だいすきなパパがいないの。だから、おねがい、あたしのパパになって。あたしのだいすきなパパになって。ママのとなり、ちゃんとあいてるから」―「う、う‥泣かせる話じゃねーか‥」― 親方が声を詰まらせおかみさんと一緒に泣き出した。さっきまで大爆笑してたふたりなのに。

暫しの沈黙。それを破ったのは彼女だった。「もし、こんな私でよければ、あの‥おつ、おつ‥おつき‥。いえ、あの、お、お、お、お‥。おトイレ行ってきます‥」「ズコーーン!」全員ずっコケる。吉本かっ!

それから話はトントン拍子に進み俺はついに身を固めた。もちろん銅像なった訳ではない。かみさんと娘。そう、新しい家族ができたのだ。

そしてある日親方から言われた。「所帯をもっておめえも一人前になったし、仕事だって腕を上げた。もう立派にやっていける。親方として独立しろ」「えっ、いいんすか?」「あたりめーだ。俺からのご祝儀と思え」「あ、ありがとうございます!」

人生に運はつきものだ。ウケ目に立つ日もあればクスブる日だってある。しかしどんな日であろうが喜びを分かち合い苦しみを分け合える家族がいればこれほど心強いことはない。あの日、ケーキ屋での出来事は、ウケ目だろうがクスブリだろうが関係なく神様があけてくれた俺の運命の場所だったのだ。

― 運命の出会いとは思いがけない出来事のなかにある。―

※この物語は河島英五の「時代遅れ」「酒と泪と男と女」の歌詞の一部を引用しています。
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