園長の本棚

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「東京3」
2022.04.23
東京3 ~かがやきに満ちた世界~

久しぶりの休日に隅田川沿いを歩きながら満開の桜を眺めていると上京したばかりで右も左もわからなかった三年前の春が頭に浮かぶ。日暮里を「ひぐれざと」浅草寺を「あさくさでら」赤坂見附を「あかさかみふ」青梅を「あおうめ」と読んではみんなに笑われた。そんなほろ苦くも懐かしい思い出に浸ってると僕の顔はいつの間にかニヤけてしまい先ほどからすれ違う人に不気味がられている。俗にいう春の陽気に誘われて出没する変質者‥。と思われては心外なので緩んだ口元を戻し、ひと休みしようと近くにあったベンチにゆっくりと腰をおろす。

“春のうららの隅田川”。――日差しを浴びてかがやく水面の眩しさから目を逸らし対岸の桜並木に視線を移した。すると、まるで地上に浮かぶ雲海のような薄桃色の綿の群れにぼんやりと焦点を奪われる。そのままうららかな時の随にまどろんでいると後ろから突然声をかけられた。

「アノ~、チョットイイデスカ?」振り向くと両手に絵の道具らしきものを抱えた若い女性が立っていた。見たところどうやら韓国人のようだ。「コノ場所デ、絵ヲ描コウト思ッテ、荷物トリニイッテタラ、アナタガ座ッテタ‥」そう言われてはこのまま居座る訳にもいかず「どうぞ」と笑顔で席を譲り立ち去ろうとした。すると彼女は「アッ、チョット、マッテ!」と僕を呼び止め肩に下げたバッグの中から包みを取り出し「コレ、ドゾ」と手渡してきた。「えっ、何ですか?これ‥」「キムチデース。私、ツケタカラ、ドゾ」さすがは韓国だなと思った僕は「カムサハムニダ」と礼を告げると満面の笑みで彼女は答えた。「ホンノ、キムチデース!」~土手にドテっ!~

それから家に帰り洗濯に掃除とせわしない時間を過ごしているうちにいつの間にか日が暮れていることに気づく。ちょうどお腹も空いてきたので、昼間にもらったキムチを手に母がやっている食堂に向かった。

「ただいまーっ!」店内に響き渡る声を出してカウンター席に座ると、テーブルに見慣れない絵がちょこんと置いてあった。隅田川沿いの桜並木の水彩画‥。「ん‥?これは?ひょっとして‥」すると奥から「おかえり」といって母が、そして、その後ろから若い女性が出てきた。「あっ、あーっ!」

「へえー、昼間にそんなことがあったの。この子はね、韓国の人と結婚した友達の娘で、こっちであるアニメイベントに行くために私を頼って釜山から来たってわけ」「ワタシ、絵ヲ描クノ大好キデス」なるほど、隅田川にいたのはそれでか‥。「デモ、一番好キナノハ、アニメ。ナルト、ワンピース、エヴァンゲリオン、セーラームーン、アト‥“ラム”チャンモ。日本ノアニメ、スゴーク好キデース!」と話す彼女。僕にとってアニメファンと言えば何となくオタクっぽいイメージがあったけど彼女は明るく無邪気で人懐っこくて、それに‥アニメ漫画から飛び出してきたヒロインみたいでとてもかわいかった。

三人でチゲ鍋を囲み楽しい夕餉のひととき。テーブルには彼女が描いた水彩画が飾られ、春爛漫の花のまわりをひらひら舞う蝶のように会話が弾む。「絵もそうだけど、日本語上手だね」そう言うと彼女は「私ノ、オモニハ、日本人ダカラネ」と笑った。「ん、オモニ?重荷は日本人?」怪訝な顔する僕を見て今度は母が笑った。「オモニはお母さんのことよ、重荷じゃなくてね」「なんだ、そっか」再びみんなで笑う。すっと離れて暮らしていたせいかこんなに笑う母を僕は初めて見た気がする。それはたぶんさっきから彼女が放っている何か不思議な“かがやき”のようなものに関係があるのでは‥?と思った。そして僕は‥彼女に仄かな恋心を抱く。薄桃色の小さな桜の蕾がゆっくりと心の中で膨らむような恋心を。

石の上にも三年。町工場の見習い工員としてこの街にやってきた頃は失敗ばかりの毎日だったけど匙(さじ)を投げることもなく地道に努力を積み重ねて今ではいっぱしの職人として任されることも増えた。そうなれば仕事が楽しくなりますます好きになった。好きこそものの上手なれの言葉通りに―。少しお酒も入り気分良くなった僕が彼女にそんな話をすると日本の“ことわざ”に興味を持ったようだ。

「石ノ上ニモ‥サンニン?」いやいや‥三年ね、三人もいないと思うけど‥。「イルヨ!サンニン」えっ?じゃあ、だれ三人って?「アノネー‥。ルパン、ジゲン、ゴエモン」それはルパン三世っ!「サンセイ?石ノ上ニモ‥サンセイ?」いいえ、反対です。賛成でも三世でもなく三年、三年間ってこと。それだけいれば冷たい石も温かくなるから我慢すれば報われるって例えだよ。

「フーン、デハ、次ノ‥投ゲル‥ハ、何ヲ投ゲルノ?」匙(さじ)を投げる、だよ。「サイ?‥動物のサイを投ゲルノ?」さ!じ!サイを投げる奴って‥どんだけ怪力やねん。あのね、匙はスプーンのことで嫌になって諦めることをスプーンを投げる仕草に例えたってこと。ちなみに動物のサイじゃなくて“サイコロの賽(さい)を振る”の例えで物事はすでに始まってしまったってことを意味する“賽は投げられた”なんて言葉もあるけどね。

「へェー、サイデッカ!」~ドテっ~

「日本語ッテ、オモシロイデスネ」いや、君の方がよっぽど面白いと思うけど‥。「ジャア、好キモモノ‥ッテノハ?」好きもものじゃなくて、好きこそものの。好きこそものの上手なれだよ。「エット‥、スキモノハ、ジョーンズニナレ‥。デスカ?」全然ちがいます‥。しかも、だれだ?ジョーンズって?好き者のMr.ジョーンズとか知らーん!ジョーンズではなく“じょうず”。好きこそものの上手なれ。好きなことはすぐにウマくなるってこと。

僕と彼女の会話に笑い転げる母。そしておもむろにエプロンのポケットから一枚の古い写真を出してきた。「ちょっとこれ見てくれる?」写っているのは二組の母子で、子供は生後一年ほどだろうか‥頼りない足でそれぞれの母の手につかまりやっと立っている感じだ。

「これは、ひょっとして‥僕?」母がコクリと頷いてから言った。「となりにいるのが私の友達とこの子。彼女が博多に遊びに来た時に撮った写真よ。それをね、この子はずっと持ってたんだって。宝物のように」

そう言うことだったのか‥。「ソーイウコトデース!ヤッパリ石ノ上ニ、サンニンネ。オバチャン、アナタ、ソシテ、ワタシ」あのね‥そう言うことってのは、そう言うことじゃなくて‥。僕らは会ってたってことだよ。よちよち歩きの頃に。

「そうよ。あなたと彼女はそれ以来の再会なるわね。でも、ここからが本題よ」えっ?なに?僕の問いに母は真剣な顔をして言葉を続ける。「結論から言うわね、あなたと彼女は‥」「マッテ。私カラ、言ワセテ!」おいおい。何だ、何だ、この展開は‥?! 僕と彼女は‥って、いったい何なんだ‥?

「ワタシハ‥アナタト‥。ケ、ケ、ケッ‥、ケットウシマース!」はあぁぁ‥??「ア、マチガッタデス。ケッコン、シマース!」え、ええぇぇーーっ!って‥ふつう間違うかっ?そこ。決闘と結婚‥全然違うし、ぜったいわざとだろ?

※ここからは文字を打つのが面倒なのでセリフのカタカナ表記をやめます。悪しからず。そして、いよいよラストを迎えますので、最後までお付き合いください。(著者)

「えへへっ。バレた?実はね、私とあなたは赤の他人だから赤い糸で結ばれるの。運命の赤い糸でね」

「な‥なんでそうなるわけよ?」戸惑う僕を気に留めることなく彼女は言葉を続ける。「“シャイニング”って知ってる? S・キング原作で映画にもなったんだけど」うん、むかし大ヒットしたホラー映画だよね?「そうなんだけどね、この作品は原作と映画がまるで違うの。それでS・キングはすごーく怒ったらしいのよ‥。こんなの“シャイニング”じゃないって。その理由は映画だと“シャイニング”ってタイトルの意味がいまいちわからないからよ‥」まあ、たしかに‥。じゃあ、その“シャイニング”ってなんだ?「“かがやき”よ」はあ?それって‥まんまじゃん。「まんまなんだけど‥原作の中では予知能力のことを“かがやき”って言ってね、それを主人公の息子が持っていたってこと。それで“シャイニング”」 な~るほど‥。

「そして‥どうやら持ってるの。この私も‥その“かがやき”を。だから未来が見えるの。あなたと結婚して博多に行く未来が‥」

えっ、じゃあ今回、君が東京に来たってのは‥。「そうよ、あなたが東京に来て三年経った時に再会する運命が見えたからそれに従ったの。そしてようやく会えた。まさに石の上にも三年ね。同時にやっぱり三人でもあるわ。おばちゃんとあなたと、私の三人」

※彼女が喋る日本語が俄かにバリバリ上手くなってるのは気にしないでください。(著者)

―ひとつ‥訊いてもいい?― 僕は隅田川で彼女と出会ったとき不思議に思ったことを尋ねてみた。あのさぁ、どうしてキムチ持ってたの?「あ、あれね。あれは朝起きたらベンチに座っているあなたの姿が見えたの。それでこの店で直接会うより印象に残る再会をしようと思って‥だけどキムチだけ持っていくのも変だし絵の道具を一緒に持って行ったってわけ」

僕はあらためて彼女が描いた絵に目をやる。「あっ、この絵はね、あの後ここに来て描いたのよ」えっ、すると‥桜を見ながら描いたんじゃない‥ってこと?「そうよ、見なくても見えるもん。“かがやき”があればね。それと‥私のこと‥さっきかわいいと思ってちょっぴり好きになったでしょ?あなたの様子ですぐにわかった。もちろん私もあなたのことが好きよ」ううぅ‥。な、なんとおそろしい‥。すべてお見通しの人が彼女って‥こわくないか‥?「こわくないだっちゃ、私がダーリンをずっと守ってあげる。でも浮気はダメだっちゃよ」で、できるわけないじゃん。全部見えてんだし‥。ってかキャラ変わってねえ‥?「もし、浮気なんかしたら月に代わってお仕置きよっ!だっちゃ」うわっ、キャラ混ざっとる。めちゃくちゃだ‥。「えっ、何か言った?」いいえ‥何も。「それなら決まり。これからダーリンと私はお互いの運命に導かれるままに一緒に歩いて行くっちゃ」―“かがやく未来”に向かって―

僕らの付き合いはこうして始まった。アニメのヒロインみたいにかわいくて“かがやき”を持っている彼女の世界に半ば強引に導かれた僕。それも運命と言うなら―隅田川での再会に感謝しよう―「カムサハムスミダガワ」
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