~慈雨と紫陽花~
そぼ降る雨に、あじさいの花がしっとりと色鮮やかに咲く季節-6月を迎えました。絵の具の筆を何度も丁寧に重ね塗りしたような紫や薄紅色のグラデーション。ぽつりぽつりと軒から落ちる雨の雫にその花びらを揺らしながら静かに潤い佇む姿は、まさに水も滴る艶やかさと気品を漂わせ、しばし時を忘れてぼんやりと眺め続けてしまうほどの美しい雨の情景です。 -あじさいの花ほど、雨が似合う花はない- ふつう、花と言うのは、晴れた日に太陽の光を浴びて嬉しさのあまり思わず笑みがこぼれるように咲いている姿がいちばん可愛らしくもあり美しくもある。- はずなのですが「あじさい」だけは‥‥何となく違う気がするのです。「あじさい」を漢字で書くと紫陽花ですが「雨時彩」または「雨慈彩」と書いて「あじさい」と読むのがふさわしいほど、雨がとてもよく似合う花ではないかと私は思います。 そして6月は和風月名(旧暦の月名)で「水無月」といいます。「えっ、6月は梅雨入りの時期で雨が多いのに‥どうして?」と、違和感を覚える人も多いと思いますが、水無月の「無」は「ない」ではなく「の」という解釈で、水無月は「水の月」を意味するそうです。また、この時期は田植えのシーズンでもあり、田んぼに水を引くのに欠かせない雨水は、何よりもありがたい天からの恵みです。宮沢賢治が「雨ニモマケズ」という詩の中で「日照りのときは涙を流し‥」と詠ったのは、時に降る雨を憂いながらも、祈りをささげる日もある。そんな雨に対して、畏(おそ)れ敬(うやま)う畏敬の念と頬を伝う涙のような慈しみの気持ちを持っていたからではないでしょうか。 「水は生命の源」であり、太古の時代から雨は物理的にも精神的にも生命の渇きを潤すほどの慈しみを与えてきた。もし雨に「こころ」があるとするならば、これを「慈雨」と呼び、その慈愛に満ちた雨心を地上に咲かせた花-それがきっと「あじさい」なのでしょう。加えて「雨の心」をその名に宿した詩人‐野口雨情は、彼の代表作である童謡「シャボン玉」で、シャボン玉を飛ばして無邪気に遊ぶ子どもの姿を描き、夭折したわが子への鎮魂を込めたと言われていますが、実はシャボン玉というのは、何と晴れた日より雨の日の方がいつまでも割れずに長持ちするそうです。人の心を乗せたシャボン玉が、やさしい「慈雨」に包まれて、いつまでも消えることなく空から地上に舞い降りて「あじさい」になったとすれば、やっぱり「あじさい」の花は雨がよく似合います。
