猛暑、極暑、激暑、大暑、厳暑、炎暑、酷暑・・等々、暑さを表現する言葉はいろいろありますが、今年ほど暑かった夏は50年以上生きてきて初めて、のような気がします。
リオではオリンピックが盛り上がっていましたが、あちらは暑いと言っても季節は冬。日本ほどの暑さはなかったのでしょう。日本のメダル獲得数は新記録を達成しました。一方、同じ記録でも日本では暑さの記録、炎天下の中で行われていた高校野球の選手や応援団の気力・体力には脱帽でした。
この暑さは、虫たちにも影響したようで、蝉も夏バテしたのかお盆前から鳴き声に力を感じませんでしたし、赤とんぼもあまり見ませんでしたし、コバエはいても普通のハエを見ませんでした。蚊もいつもより少なかったのではないでしょうか。
そんな中、最近街でよく見かけたのは歩きスマホですね。ポケモンを探してあちらこちらへ子どもから大人までが街を彷徨う姿は、まるで何かに憑りつかれた浮遊者に見えるのは私だけでしょうかねえ。
YOUTUBEでは勉強に集中できたり不眠を解消する音楽が配信されていますし、テレビを見ながら食事したり、湯船につかることができるようになった昨今。便利で快適になった反面、運転中の携帯操作や通話などいろんな問題も生じています。
むかしから「ながら族」という言葉がありますが、私も何を隠そう「ながら」の達人と自負しております。ですから、ここには書けない「ながら」生活があれこれとあります。しかし「ながら」を堪能するのは、家の中のみにしていただき、屋外では人様に迷惑がかかるので慎むことが肝要ではないかと私は思います。
誰にでも「楽しい」とか「嫌だなあ」と感じることがありますね。例えば・・・朝「よしっ!朝だ!」と気分よく起きちゃう日は、きっと楽しいことがある日でしょう。遊びに行く約束をした日曜日にやたらと早起きする子どもがそれです。
反対に「あ~朝か・・・」と仕方なしに起きる日は憂鬱なことが待っている日・・・。晴れていても心の中はどしゃ降りの雨。爽やかに流れるラジオの声や軽快な音楽も耳に入りません。おまけに食欲もなく、今日の日がなくなればいいのに・・・なんて非現実的なことまで考えてしまいます。
「嫌なこと」をイヤッと思わないで気持ちを切り替えて・・・というその場しのぎのアドバイスをよく耳にすることがありますが、これは無理です。だって嫌なことは嫌なのです。本当に嫌なのです。
しかし「嫌なこと」があるから「楽しいこと」があると考えたことはありませんか?
もし人生が楽しいことだらけだったら、楽しいことが当たり前になりすぎて嫌になる?
かもしれませんね。
つまり「嫌なこと」はイヤだけど「嫌なこと」としてちゃんと受け入れる。そして「嫌なこと」を忘れるほどの「楽しいこと」をつくって、その日を心待ちにする方が現実的だと思います。「嫌なこと」があるから「楽しいこと」がある。人生そんなもんじゃないでしょうか。いよいよ夏休み。子ども達に楽しいことがいっぱい待っているといいですね。
さだまさし(正確にはグレープ時代のさだまさし)の歌「無縁坂」の歌詞にこんなフレーズがあります。
♪運がいいとか悪いとか~♪人はときどき口にするけど~♪そういう事って確かにあるとあなたを見てて~そう思う♪
日常生活の中で運の善し悪しは確かにある。そのことは誰しも感じることだろう。強運の持ち主もいれば、運から見放された人もいる。中には運から見放されるどころか浅田次郎の小説「憑神」にあるように災いの神様(貧乏神・疫病神・死神)に取り憑かれる人もいる、かも知れない。
しかし、その浅田氏もあるエッセイの中で「人生の運不運は信じない」と述べている。その理由は、運がすべての結果を左右するなら努力の価値がなくなるからである。これにはわたくしも甚く同感するところだ。運だけに頼って努力を怠ればイチローの大記録もなかっただろうし、
実は強運とは失敗や挫折をものともせずに、ものすごい努力をした人にのみ与えられると信じてやまない。
さて、運の善し悪しと似た言葉に、事の順と逆がある。つまり順風の時と逆風の時であるが、いうまでもなく風に乗ればすいすい進むが風に逆らえばなかなか進まない。なので事を成す時はその風が順風ならチャンスだし、逆風ならたちまちピンチに立たされることだってある。弛まぬ努力を続けながらも、この風を読むということは人生の要諦のような気がする。
もしかすれば運が良かった運が悪かったという結果は、その前段階での順・逆の風を読むことができたか?ということに左右されるのかもしれない。順風と読めば大きく勝負に出るし、逆風と読めば無理をしない。結果、読みが当たれば成功するし外れれば失敗する。その場の空気を読む力、その力を養うには、やはりコツコツと努力し続けることしかないと私は思う。
博多の麺類と言えば、とんこつラーメンに代表されるように博多ラーメンという声が方々で聞かれると思います。事実、駅や空港のお土産コーナーには有名店舗の名前が入った商品やさまざまなラーメンのパッケージが所狭しと並んでいます。
何を隠そう、小生もラーメンが大好きで、若い頃はそれこそ方々のラーメンを食べ歩いた口ですし、コンビニなどで新商品が発売されると、ついつい買ってしまうタイプでした。しかしそんな小生も歳とともにラーメンよりうどんを好むようになりました。そして最近特に思うのは、ラーメンで有名な博多ですが、実は博多は、うどんも侮れないということです。
四国、香川県と言えば、自ら「うどん県」と名乗るくらい讃岐うどんが有名で映画にもなったところですが、その香川県に引けを取らないくらい博多のうどんのレベルは高いと小生は自負しています。もちろん個人の嗜好の問題もありますが、ラーメンで「この店、ハズしたなぁ‥」という経験は多けれど、博多のうどん屋さんでは、ほとんどありません。かの井上陽水さんも「博多のうどんはハズレがない」と言ったくらいですから。
博多の老舗うどんといえば川端の「かろのうろん」でしょうか。そして「因幡うどん」に「みやけうどん」、「大福うどん」等々‥。加えて「うどんウエスト」(讃岐うどんに味が似ている)に「ほり野のうどん」、そして平尾にある「恵味うどん」もおススメです。「松本人志のすべらない話」ではないですが、今あげたお店は「博多のハズさないうどん屋さん」と県外からの客人に喧伝しまくっています。
まだまだあります。安くておいしい「黒田藩」、ボリームたっぷりでいくら食べても麺が減らない‥と言うより増えてる気がする「牧のうどん」は学生や健啖家好みでしょうか。こうしてラーメンやうどんにあれこれ思いを巡らすと、その昔、あすなろとあいあいの男性職員で発足した麺’sクラブ(ある理由で自然消滅‥)をずい分懐かしく思い出す今日この頃です。
人は誰しもオギャーと泣いてこの世に誕生します。ですから、人が生まれて最初にすることが泣くことなのです。それは言うまでもなく生きている証なので大きな声でオギャーと泣くと母親は「あ~元気に生まれてきてくれた」と安心します。
先日起きた熊本地震、まだまだ痛ましい爪痕をいたる所に残したままですが、奇跡的に瓦礫から助けられた8ヶ月の赤ちゃんの救出のきっかけは消防士がかすかな泣き声に気づいたからということです。
古くから「子どもは泣くのが仕事」と言われてきましたが、昨今では、近隣から「子どもの声がうるさいから反対」と言われ保育所の建設を断念したという自治体もあり、時として子どもの泣き声が迷惑の対象となることも少なくありません。
そんな中、横浜の市営バスの車内でこんな心温まることが起きました。そのバスには15人ほどの乗客が乗っていましたが、乗客の中の母親の腕に抱かれた赤ちゃんがぐずり始め、母親がどんなにあやしても、赤ちゃんは手足をばたつかせ泣き声はどんどん大きくなるばかり。そこへ突然、運転手からこんな車内アナウンスが・・。
「お母さん、大丈夫ですよ。赤ちゃんですから気になさらないでください。きっと眠いか、おなかすいているか、おむつが気持ち悪いか、暑いかといったところでしょうか」
この運転手は、迷惑をかけないよう何とかしたいという母親の焦りをひしひしと感じ、今後バスや電車を使うのをためらうんじゃないかと心配になったから声をかけたそうです。
子どもは泣きながら育つ。幼稚園でもたくさん泣いて、たくさん笑って成長する。泣き笑いの毎日が我々のかけがえのない日々です。その思いを共有できる社会であってほしいものです。