園長の本棚

「博多2」
2022.09.13
~運命の扉―東京へ~

始めはほんのぼんやりというか何となくというかおぼろげに見えていたものがはっきりと見えるようになったのは ―あの日から―。僕が見えるようになったもの。それは人の心だった。

幼い頃からとても仲良しの2歳上の兄がいた僕は、何かと兄から面倒を見てもらいながら育ったと言える。やんちゃな僕をいつもかばってくれて両親から叱られてばかりだった兄。自分のおやつを分けてくれたり忘れ物をしないように学校の準備を手伝ってくれたり宿題を見てくれたり‥もちろんたくさん一緒に遊んでくれた。兄のやさしい心に触れ、両親の愛情に包まれ育った僕―。しかし‥ある日、母親の兄に対する心が見えたとき、僕は衝撃を受けた。「兄ちゃんは‥お母さんの本当の子供じゃない‥」

そもそも人の心というのは、その人の言葉や態度でうすうすわかるってことは誰にでもあるものだ。しかし、そのとき初めて言葉や態度とは裏腹な母親の心が見えてしまったのだ。そして父親の心も。人の心が見えるということは、見たくないものが見えたり知りたくないことを知ってしまうってこと。つまり‥生きていくうえでこれほどつらいことはない。その日を境に僕は心を見る目を閉じた。兄にはもちろん誰にもこのことを告げることもなく。

それから数年後の夏のある日、地元球団のホークスが大好きな兄と一緒に野球観戦に出かけた。その行きがけの電車の中で、今まで感じたことのない異様な殺気がずっと閉じていた僕の心の目を無理やりこじ開ける。恐る恐るまわりを見渡すとその殺気は目の前に座っている男から放たれていた。「兄ちゃん!危ない!」そう叫んだ僕が兄の正面に立った瞬間‥男のナイフが僕の背中に突き刺さった。「誰でもいい‥誰でもいいから殺して自分も死ぬ」そんな遺書を残して死んだ男の凶行から兄を救うため命を落とした僕の16年の短い人生。でも‥最後にちゃんと兄に恩返しができたと思う。不本意な結末だったけど‥。

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弟が亡くなった日から僕の家の会話もほとんどなくなってしまった。それは両親にとって僕以上に弟のことが大切だったことを残酷なほど物語っていた。きっと「どうしてあの子だったの‥」と思っているはずだ。「わかるよ‥僕だって、僕だって‥弟が好きだったから痛いほどわかるよ‥。殺されるとするならば‥犠牲になるべきだったのは‥‥僕の方だったんだ」 ―だから、もう―。 “この家に僕の居場所はない”

進学か就職か。高校卒業も近まった頃、進路のことを考えながらもひとつだけ決めていたのは家を出るということだった。結局、少しでも早く両親から自立したいという気持ちから就職することにした。場所は東京だ。「なぜ東京なんだ?」そう訝しがる父親を余所に僕の心がそう決めたのは、机の引き出しからこんな手紙が出てきたからだ。

~大好きな兄ちゃんへ~
兄ちゃん、今まで誰にも言えなかった僕の秘密を教えるね。実はね‥僕、人の心が見えるんだ。だから兄ちゃんの心もちゃんと見えていたし今も見えているよ。いつも大切にしてくれてありがとう。でもね‥昨日、お父さんやお母さんの心の中が見えたとき、僕はあることを知ってしまったんだ。それが何かは‥今は言えない。ごめんね‥。でも、兄ちゃんはそのことを知る日が必ず来ると思う。ヒントは東京じゃないかな?お父さんの心の中からときどき東京の下町の風景が見えるんだ。だから、そこに行けばきっと‥。兄ちゃん、僕は兄ちゃんのことがずっと大好きだよ。たとえどんなに離れていてもね。だから、父さんや母さんや僕のことは考えずに、将来は東京に行ってほしい。  ~弟より~

弟が亡くなる前に書いた手紙を読んで涙が止まらなかった。止めどもなく流れる涙でぬれたその手紙を握りしめて固く決心した僕は―その春、弟との忘れられない思い出を胸に、手紙の言葉が導いてくれた運命の扉を開けるべく、ひとり東京へと旅立った。

~東京2へ続く~
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