園長の本棚

「おかえりなさいの店」
2022.04.23
~おかえりなさいの店~

「ただいま」の声に「おかえり」と応えてくれる店がある。毎日の仕事に疲れて、遠く離れた故郷に思いを馳せては独り暮らしの寂しさが募る日々。だけど、こんな私にも「ただいま」と帰れる店がある。

十二名ほどで満席になるL字カウンターだけのそのラーメン店は、客の八割が注文するらしい焼き飯セットが人気で、確かにラーメンも焼き飯もうまい。それだけではなくチャンポンも味噌ラーメンも餃子も結構いい味出しており、誰かに「おいしいラーメン屋さん、どっか知らない?」と訊かれれば自信をもって紹介できる店だ。

しかし、それはあくまで昼間の話であって、仕事を終えた夜に私を迎えてくれる店は、昼間とはまるで違い、レアと言うかシュールと言うかエキセントリックと言うかエキサイティングと言うか、何とも形容しがたい雰囲気を醸し出している。決して、いかがわしい店でもあやしい店でもないので、その点は誤解なきようにしていただきたいのだが‥。

まず‥、夜にラーメンを食べに来る客はほとんどいない―。ラーメン屋なのに‥。刺身がやけに新鮮だ―。ラーメン屋なのに‥。ほぼ毎日、生野菜サラダとゴーヤを食べている客がいる―。ラーメン屋なのに‥。ナポリタンがうまいしオムライスもうまい―。ラーメン屋なのに‥。お好み焼きもたこ焼きも作ってくれるし、冬場はときどき牡蠣小屋になる―。ラーメン屋なのに‥。なぜかテキーラやスピリタス(アルコール度数九六度)が冷やしてある―。ラーメン屋なのに‥。しかし、うどんはない―。ラーメン屋なので‥。

その日も「おかえりなさい」の声に迎えられた。ちゃんと頭に「お」が付いているのが大事だ。もし、この「お」がなければ「かえりなさい」となり、来たばかりなのに「こりゃまた失礼しましたーっ!」と言ってすぐに帰らなくてはいけなくなる。とある店で酔った客が「おい、なんかつまみ出せ!」と言ったら、その客がつまみ出されたとか、わがままな客に頭に来た大将が包丁を手に「表に出ろ!」と啖呵を切って客が外に出ると「俺は忙しいから今は出られん」と言って黙ってネギを切り出したとか、「おととい来やがれ!」と啖呵を切るべきところを興奮のあまり「あさって来やがれ!」と言ったもんだから、二日後、その客が「どうも~」と言って律儀にやって来たとか、飲み屋にありがちな物騒なのか何なのか、よくわからない話は耳にするが、この店の大将はそんなことを言う人でもする人でもない穏やかな人柄が滲み出ている方なので、今日も安心してお酒が飲める。

大将の人柄と言えばこんなこともあった。ある日、私が故郷の母の容体が悪く、もう先が長くない話をすると大将は我が事のように心配してくれ、その数日後、母の訃報に接した私を気遣い店休日にも拘わらず店を開けて飲ませてくれた。たったひとりの店内で、その夜、私はぽろぽろ泣いた。その涙の訳は、亡き母への想い‥。そして、大将のやさしさだった。

世知辛い世の中に私の居場所はない。寝て起きるだけの家では咳をしてもひとりだ。そんな私が落ち着いて過ごせる唯一無二の場所。「ただいま」といえばいつでも応えてくれる「おかえりなさい」の店が今夜も赤い暖簾を掲げて私を待っている。店の名前は大将の母親の名をとって「ハルコ」という―。ラーメン屋なのに‥。
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