園長の本棚

「博多3」
2022.09.13
春からずっと遠距離での付き合いだった僕らがようやく会えた夏。お互い相手への思いを募りに募らせ釜山と博多を結ぶ高速船に乗り博多港に降り立った彼女が僕に駆け寄ってくる。まるで映画のワンシーンだ。高ぶった気持ちはもう誰にも止めることはできない。そして―。ふたりが向き合って両手を握った瞬間に―。とんでもないことが起きてしまったのだ。

突然眩しい光に包まれた僕らは金縛りにあったように動けなくなり意識を失いかけたところで光は消えた。「いったい‥何が起こったんだ?」その場にへたり込んだ僕らを余所にまわりの変化は特にない。きっと暑さにのぼせた立ち眩みか何かだったのだろうと気を取り直して立ち上がりお互い目を合わせたふたりは絶叫した。

「ぎゃああああ~~」「何で‥えっ?!何これ‥どうして?!」何と僕が彼女に彼女が僕に入れ替わってしまった。僕は思わず両手を胸に当てる。「あっ‥」「バシっ!こらーっ!触るな!」何気にTシャツの首元から中を覗く。「おおっ‥」「バシっ!こらーっ!見るなーっ!このエッチ!バシっ!バシっ!」仲良しなふたりで何よりです。

「ひとまず落ち着こう」ということで近くのファミレスに入っても彼女のソワソワは収まらない。「大丈夫か?」「大丈夫じゃない」「そりゃ僕だってそうだけど‥こんなこと初めてだし‥。でも、なぜこうなったかを一緒に考えよう。きっと解決方法があるはずだ」「そ、そうじゃないの‥」「えっ?!じゃあ何?」「笑わないでね、ぜったい笑わないでよ。笑ったら絶交するからね」「わかった、約束する。だから何?」「やり方‥わからないから教えて‥」

「えっ‥あ、あ~ぁ!!」「あはははっ!」「バシっ!バシっ!バシっ!ウソつき!」「ごめんごめん、さっきからのソワソワってそれか!あはははっ!」「バシーーーっ!!」「わかった、わかった。じゃあ絵にかいてあげるよ。まず、便器がこうなっていて‥その前に出来るだけ近づいて立つ。チャックを開けて取り出して‥」「もういい!女子トイレに行く」「それはダメだよ。捕まっちゃうじゃん。あっ、そうだ!男子トイレにも便座トイレがあるからそこでしなよ。普通に座って便器からはみ出さないように気をつけるだけだ」「はみ出すって‥何が?」「もちろん、オシッコだよ。何考えてんだ?んっ?!もしかして‥」「もういい、やめて!行ってくる」すたすたとトイレに向かった彼女だが、すぐに踵を返して戻ってきた。「言っとくけどダーリンはトイレ禁止ね。元に戻るまではお風呂もダメだから。いいわね、見たら殺す!」「えーーーっ!」仲良しなふたりで何よりです。

こうしてはいられない。早く何とかしなければ―。トイレやお風呂の問題もさることながら、今回の帰省は両親に彼女を紹介するため僕の夏休みに合わせてセッティングしたのに紹介する僕が彼女で紹介される彼女が僕‥。考えれば考えるほど悪い予感しかしない。いったいどうすれば―。

「一か八か、やるしかないわ。もう‥時間ないし、このまま乗り切るしかないわよ。打ち合わせをしっかりすればきっと大丈夫、バレないと思うわ」僕の姿をした彼女が言う。まるでオカマだ。でも‥確かに彼女の言う通り顔合わせと挨拶さえ簡単に済ませてしまえば、この危機を乗り切れる気がしてきた。僕役の彼女が余計なことさえ言わなければ‥。

久しぶりの我が家で両親との対面。何とか打ち合わせ通りの挨拶と紹介を済ませほっとしたのも束の間、突然、僕役の彼女が台本にはないことをしゃべりだした。

「父さん、それに母さん。今まで僕を育ててくれてありがとう。特に母さんにとって僕は‥。それを知ったときは正直とてもショックだった。僕より弟を大切にしていた理由がわかったからね。でも‥そのことを彼女に打ち明けたとき、あることに気付いたんだ。それはね、どんなときでも相手を思いやる気持ちが大切だってこと。僕以上に父さんも母さんもつらかったんだよね、きっと。それが僕にはわからなかった。僕だけが‥と思っていたから。人の心は目に見えない。もちろん自分の心も人には見えない。だからこそお互いを思いやることが必要なんだ。相手にどう思われているか?なんてことは考えないで自分の思いを伝え続ければいつか必ずそこに信頼が芽生えて相手を信じ続ける自分を信じることができる。それが愛。見返りを求めない無償の愛。血のつながりがあるとかないとかは関係ない。そのことを僕に気付かせてくれたのは彼女だ。だから過去はどうであれ、今僕は父さんとふたりの母さんを愛している。そして彼女のことも。僕は‥僕は彼女と結婚します」

言ってしまった。というより言われてしまった。本来僕が言うべきことを僕役の彼女に。しかも台本なしのアドリブ‥。僕には絶対できない。僕役の彼女が宝塚のスター女優に見えた。

彼女の気持ちに応えるために僕も台本にないアドリブをかます。「ありがとう。ダーリン」ダーリン‥それは彼女役の僕が恥ずかしさと気持ち悪さを精いっぱい堪えての言葉だった。その勇気を讃えるように僕役の彼女は隣にいた彼女役の僕の手を握り叫んだ。「かがやきーっ!」すると再び光に包まれたふたりは気がつくと何と元の僕と彼女に戻っていた。「そうか!わかったぞ。入れ替わったのは、相手への思いが強い証拠だったんだ」「そっか!ダーリンと私、やっぱりラブラブなのね」喜びのあまり飛び上がって抱き合う僕ら。仲が良くて何よりです。

取り残されたように正面で僕ら“劇団ふたり”の芝居を観ていた両親は圧倒されたのか呆気に取られたのか口をぽかんと開けて何を言っていいのか分からない様子だった。そこで正真正銘、本家本元の僕に戻った僕が両親に告げる。「僕らふたりは元に戻ったんだ。話せば長いし意味不明だと思うけど、とにかく元に戻れてよかったんだ。だから僕ら家族も必ず元に戻れる。彼女を迎え入れて新しい家族の“かがやき”を取り戻そう」

母親の目から涙が一筋こぼれ落ちる。それを見た父親も目が真っ赤だ。僕は彼女にやさしく微笑む。すると彼女は嬉しそうな顔をして僕の耳元で囁く。「よかったわ、本当によかった。これがホントの親の目にも涙だね」「いや、それを言うなら鬼ね。鬼の目にも涙」

「ん、今‥鬼って言わんかったか?」「いやいや父さん、違うって。鬼じゃなくて、おに‥おに‥おに‥おにぎりが食べたくなったって‥彼女が」「そ、そうなんですう、お父さん、わたし、お、お、おにぎりが大好きなんですう‥。おほほほっ」(わたしは‥山下清かっ!)仲良しな家族になりそうで何よりです。

物語はまだ終わりません――。

突然、外が「ピカーッ!」と光り今度は何事かと外に駆け出した僕らは庭にちょこんと鎮座する一匹のワンちゃんと目が合った。「迷子犬か‥?」と思ったが首輪はついてない。「今どき野良犬とかおらんやろうしなあ‥。どっから来たん?それに‥何でまた‥うちの庭に」不思議がる両親を余所に「もしや‥?!」と思った僕はワンちゃんを抱いて背中を見た。「父さん、母さん、傷跡がある‥」そこには弟が背中に受けた傷に似たような跡があった。「えーーーっ!ま、まさか?!そうなのか?!お前は‥そうなのか?」「ワン!ワン!」尻尾を思いっきり振りながらそれに応えるワンちゃん。「そうか‥おかえり。よく帰って来たね。ありがとう‥うん、うん、そうか、そうか。よく帰って来てくれた‥」泣きながらワンちゃんに抱きつく両親。その姿を微笑ましく眺める僕と彼女。また新しい家族が増えて何よりです。庭に差し込むオレンジ色した夕焼けの“かがやき”がそう祝福しているように見えた。
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