- 「ペーパー」
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2022.04.23
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~ペーパー~
夏目漱石の小説風に言えば、吾輩と妻はペーパーである。名前は林家ではない。吾輩がいうペーパーとは、いつからそう言われるようになったか屯と見当がつかぬが、いわゆる車の免許証を持っていても運転しない人のことである。もちろんその理由は人それぞれだろうが、我々の場合は運転が下手で「ダメだこりゃ‥」といかりや長介と交通安全の神さまに烙印を押されたからだ。
自動車学校で知り合い、教官の叱責を受けては互いの傷を舐め合う猫のように意気投合。免許を取ったら一緒にドライブに行く約束を胸に通うこと数か月、その道のりはThe Long and Winding Roadだったが、春から夏に季節が移ろう頃ようやく卒業検定の日を迎えることができた。
もう舐め猫とは言わせない。検定車に乗り込む吾輩は「なめたらいかんぜよ!いや、よせイ‥イクっ!ぜよ」と、わけのわからぬ自信で自分を鼓舞するが、どっからどうみてもかなりキンチョーの夏。もとい、緊張している。そしてなぜか、こんなに時に限って普段は起きないこと‥いや、起きてはいけないことが不思議と起きてしまうもので、その時はすぐにやって来た。走行中の交差点で吾輩の目の前に突然飛び出してきたのは、あろうことか猫であった。「わっ!わっ!!」「キィィーーッ!」まさか―。なんで‥猫?「こんなところにいるはずもないのに‥別に君を探しているわけでもないのに‥山崎まさよしの歌でもないのに‥」One more time. One more chance.のねがい虚しく撃沈。
次に相方のリベンジに燃える彼女だったが、すでにかなりテンパっている。さっきからカバンの中を掻きまわしながら「メガネがない、忘れてきたかも‥」と慌てている。「えっ?じゃあ‥いまかけているのはいったい誰のメガネ‥?」「あ、あったわ。かけてたみたい」どってーん!とズッコける吾輩。こんな調子で検定を受けた彼女もうまくいくはずはなく途中でコースを間違え道に迷い込み「ここはどこ?」状態。「あの~私、どうすれば‥?」「運転席から出なさい、今すぐ!」「はい‥」彼女もあえなく撃沈。しかし、悲劇はそれだけではなかった。車を降りて運転席に滑り込む教官と一緒に車内に闖入者が「ブーーン」「‥‥ん?ハチ?」「ぎゃああああーっ!」叫ぶ教官と彼女。教官の名前は「蜂ノ巣さん」だった。くわばらくわばら‥。
それから手に汗にぎる絶叫マシン級のスリルを幾多も乗り越えて何とか免許を取ったふたりは交付所の待合室の壁に貼った「飲んだら乗るな」の標語を目にする。その瞬間、吾輩に閃光のごとき神の言葉が舞い降りた。「取ったら乗るな」そうだ!これでいいじゃないか。免許が取れたこの達成感だけでいい。彼女が一緒ならそれだけでいい。そしてその思いを彼女に伝える。「一緒になってくれないか?」「えっ?そ、それって‥もしかして?」「一緒に‥ペーパーになってくれ」「プロポーズちゃうんかーい!」「聞いてくれ、君を守りたい。同時に君も僕を守って欲しい。この世でいちばん怖い乗り物はビックサンダーマウンテンでも浅草花やしきのジェットコースターでもない。きっとお互いが運転する車だ。だからふたり揃ってペーパーになろう。そして、一緒にしあわせになろう。これは今さっき吾輩に降りてきた閃光の中に見えた神にも誓った君へのプロポーズだ」「‥またまたぁ―。うまいこと言っちゃって」「えっ、な、なんで?」「ペーパーだけに“かみ”に誓ったのかなあ~ってね」
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