学校法人 柿迫学園 あすなろ幼稚園

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あすなろコラム

~ラジオな夜~ 2017.12.20

先般、平成31年4月30日の今上天皇の生前退位をもって、平成時代の幕が閉じられることが発表されました。戦後の高度経済成長に生まれ、思春期から青年時代を昭和という時代で過ごした私には、昭和が終わる時ほどの身につまされるような寂寥感はありませんが、やっぱりひとつの時代が終わるというのは何となく寂しいものですね。

 

何かにつけて昭和と比較された平成ですが、30年もの間に我々の生活にさまざまな変化をもたらせました。中でもいちばんの変革は、アナログ時代からデジタル時代へということでしょう。そしてIT革命によりコンピューターが職場や家庭で欠くことのできない存在になった。そんな時代が平成です。

 

善し悪しは別として、時代が変われば、今まで必要とされてきたものが要らなくなり、姿を消すことになります。例えば、今、家電店でラジカセなる存在は、絶滅危惧家電に指定されています。(すでに、ラジカセって何‥?っていう人もいるのでしょうか‥。)今どきカセットテープを使う人などほとんどいませんもんね。

 

私の青春時代は音楽などを録音するのは100%カセットテープでしたし、ラジカセを通じてラジオ放送も深夜を中心によく聴いていました。当然、お気に入りの人気番組もたくさんありましたし、今でもそのことを思い出すと、懐かしさとちょっぴりセンチなほろ苦さが胸に込み上げてきます。

 

そんな折、先日、出張先のホテルでNHKラジオの「ラジオ深夜便」という番組を聴く機会がありました。スピーカーから聴こえるパーソナリティの声や音楽はシンプルでありながら心に優しくもしっかりと響くまさに昭和のラジオがそのまま現代にも生きていました。

 

平成という時代も生きてきた私にとって、平成を悪く言うつもりは毛頭ありませんが、何でも手軽さや便利さを追求したがゆえに、深さよりも、より広く浅くなり過ぎたような気がします。最近のテレビを見ると旅やグルメ、動物またはクイズものばかり。どれも同じに見えて仕方ありません。

 

お笑いタレントにしても、オシャレさはあるものの何となく軽い。昭和時代のハードなストレートパンチ的な強烈なキャラクター性に欠ける。万人にウケたいがために、リスクを避けてしまうから個性が消える。そんなことをあれこれ思いめぐらせながら、深夜放送のパーソナリティの囁きと仄かな部屋の明かりに包まれながらゆっくりとゆっくりと眠りにつきました。ラジオな夜、皆様も、たまにはいかがでしょうか。昭和を知っている人には特におすすめです。

~そしてまたひとつ~ 2017.12.01

毎年、年の瀬に思うことは、過ぎてしまえば一年っていうのはあっという間であるということです。あっという間に一年が過ぎるのではなく、過ぎてしまえばあっという間ということですが、この違いがわかる人は、ネスカフェ・ゴールドブレンドを飲んでいる人だと思います。

 

さて、仕事にしてもプライベートにしても、人はやりたいことよりも、やらなきゃならないことの方が多いものです。特に年末には、やらなきゃならないことがいっぱいあり過ぎて、何から手をつけたらいいのやら訳がわからなくなる。そこへさらに追い打ちをかけるようにやらなきゃならないことが次から次へと押し寄せてくる。

 

そんな時はどうするか。答えはかんたんです。まずは、目の前のことをひとつずつこなしていく。やらなきゃならないことがたくさんあるからといって一挙に片づけることはとても困難です。ましてや、あれもあるこれもあると先々のことばかり考えていると気分が滅入ってしまいます。ですから、まずは目の前のやるべきことをしっかりやることが肝要です。

 

ひとつ済めばまたひとつ。次から次へとやるべきことを片づけていく。そうすると手帳を真っ黒に埋めつくした膨大な所用も、時が過ぎるごとに、自ずと片づけられていきます。そのようにして日々過ごしていると、物事が片付くまではすごく長く感じていたことが、片付いてしまえばあっという間だった。つまり、過ぎるまでは長く、過ぎてしまえば意外と短かった。と思えるのです。

 

やりたいこともやらなきゃならないことも含め、時の流れの中で、わき目も振らず、取り組んでいく。そして、ふっとカレンダーを見ればもう12月。今年もやっぱり過ぎてしまえば、あっという間の一年だった。きっと来年の年の瀬も同じ思いが頭に浮かぶことでしょう。

~非認知能力~ 2017.11.01

「夏休みの宿題を終わりがけになってしかやらない子どもは、大人になって禁煙できず、ダイエットできず、貯金も少ない」先般、こんな耳の痛い話を聞きました。

 

来年の4月から学習指導要領や幼稚園教育要領、保育所保育指針等の改訂が行われますが、その中に「非認知能力」という言葉が頻繁に出てきます。つまりこれからの学習には、認知される能力(認知能力)以外の能力をも高めることが強く求められていくということです。

 

認知能力とは、学力テストや偏差値、はたまた100メートル走のタイムなど数字に表れる能力、いわゆる数値化された能力のことを言います。一方、非認知能力とは数字では表されにくい能力ということになります。さてその能力とは一体、何でしょうか。

 

冒頭の話は子どものみならず大人にとっても大変耳が痛い話ではありますが、たとえば計画性や実行力、自制心や忍耐力と言った能力は、はっきりと数値化されにくい能力と言えるでしょう。つまり、私なりの解釈を言わせてもらえば、認知能力とは学力や身体能力、非認知能力とは人間性や社会性と思うのです。

 

卵と鶏の話がありますが、学習における理想は、認知能力と非認知能力の良好なバランスにより保たれる。ならば、小中学校や幼稚園、保育園において学習する機会には、そのことをしっかり踏まえましょう。ということです。

 

かつてのゆとり教育により学力が低下したために、学力を伸ばすプログラムとして、各自治体では土曜授業などの取り組みも始まりました。加えて、来年度の指導要領や教育要領の改訂により、各教育機関の集団生活において、あいさつや掃除、人や物に対する思いやりや感謝の心を育てるプログラムにより、子ども達の社会性や人間性が高まるよう期待しますし、自らも教育者として実践できればと思います。

 

 

 

 

~理想の保育者~ 2017.10.01

「あなたはなぜ、保育者になりたいと思ったのですか?」      この問いかけに対して、「私は子どもが大好きだからです。」と答える人が多いと思います。もちろんこれはとても良いことだと思います。 なぜなら、もし、子どもが嫌いな人がこの仕事に就いているとすれば、保護者は子どもを安心してあずけることはできないでしょうし、何より本人にとって、とても不幸なことです。

 

しかし、少々意地悪な質問ですが「子どもが好きなだけで保育者になれると思いますか?」こう問われればいかがでしょうか。答えは賛否両論かもしれませんが、私は「子どもが好き」ということは保育者にとって欠くことができない要素ですし、まずは、その気持ちがなければ保育の仕事は務まらないのですが、それだけでは不十分だと思います。

 

では、何が必要か?それは、子どもに好かれるという事です。何故なら「子どもが好き」であれば必ず「子どもから好かれる」という訳ではないからです。「子どもが好き」ということはもともと本人がそう思っていることですから、格別の努力の必要はありません。しかし、「子どもから好かれる」には努力が必要です。そしてこの知恵を絞ったり工夫を凝らす努力をすることこそが保育者に求められられることです。

 

保育現場で、先生が子ども達に好かれているかどうかは、日常のふとした時に垣間見られます。子どもに好かれている先生のまわりには、いつも子どもの笑顔が溢れています。まるで、その先生に吸い寄せられるように集まってくる子ども達。言うまでもなく「子どもに好かれる」ということは子どもにおもねることではなく、誤解を恐れず言えば、叱られることもあるけど先生が大好きということです。まさに子どもと先生の信頼関係と言えますが「信頼」とは、人間関係を良好にする一丁目一番地です。子どもから好かれる保育者は、いつもそこに住んでいる子どもが大好きな人で、それこそが私が思う理想の保育者です。

 

~夏の終わりに~ 2017.09.01

今まで経験したことのない異次元の雨が多くの災害をもたらし、情け容赦ない日差しは昼間の湿度と温度をグングン上げて、街中では熱中症患者の搬送のため救急車がひっきりなしに走り回り、涼を求めて出かけた水辺では、水難事故によって尊い命が奪われ、まさに酷暑多難の夏でした。

 

そんな中、心がほっこりしたのは、やはり子ども達でした。廊下や部屋の窓から私を見かけると「えんちょうせんせーい!」と笑顔で声をかけてくれる子ども達、中には、レアなポケモンキャラを見つけたみたいにはしゃぐ子もいて、思わずこちらも笑みがこぼれ、一瞬でも暑さを忘れさせてくれました。

 

また、夏にお昼寝をする子どもの姿にも心癒されますね。昼間のうだるような暑さの屋外とは無縁の涼しい部屋で、タオルケットをかけて、すやすやと眠る姿はとても気持ちよさげで、仕事をほっぽらかして一緒に昼寝したくなる衝動に駆られた先生も多かったのでは・・。()

 

さて、誰もが否定しようのない今年の夏の暑さでしたが、もう暑いのは嫌だ、と思っていても過ぎゆく夏に、一抹の寂しさを感じる人も少なくないと思います。まつりの後の帰り道、誰もいなくなった砂浜に残されたビーチサンダル、空になった虫かご・・。

 

暑い中、あんなにはしゃいだ夏が終わるのは、やっぱり何となく寂しい。はたまた、これといって特に何もしなかった夏は、もっと寂しい。子どもにとって夏休みが終わるのは、もっともっと寂しい。春夏秋冬、四季折々の中で夏は、やはり特別な季節のような気がします。

 

夏が過ぎかぜあざみ、誰のあこがれに彷徨う。青空に残された私の心は夏模様。「少年時代」の歌詞が頭に浮かび、いつの間にか、日は短くなり、昼間の蝉の声は消え、夕日に染まる空を飛ぶ赤とんぼ、夜になれば、どこからともなく虫の声。

 

夏の終わりは、その思い出を青から茜色に染めながら、ゆっくりと穏やかに秋を迎えます。誰かさんが見つけた小さい秋。皆さんもどこかできっと見つけるでしょう。

 

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