人生に無駄な時間はない。ある時、そんな言葉を聞いたことがあります。肉体的にも精神的にも疲れ果てたり、うまくいかないことで思い悩んだり、もがき苦しんだりした時、何をするわけでもなく、また何をする気も起らなくて、ただぼんやりと日々を過ごすことが人にはきっとあると思います。
しかし、そうやって過ごしてしまった時間でも、その後の人生においては決して無駄ではない。ということです。否、むしろ人生においては、立ち止まったり、引き返したり、回り道をしたりすることが、誰のものでもない自分の人生を自分らしく歩んでいくために必要な時があるのではないでしょうか。
時間は止まることなく過去から現在、そして未来へと進んでいきます。ですから人は、常に前を向いて、時の流れに乗り遅れることなく進まなくてはならない。いつまでも過去にとどまらず、今が過去になる前に前に進まなければならない。それは確かなことでしょうが、ついつい周りに流されてしまい。「こうあるべき」という物差しに自分を無理に合わせてまでして、進んでいるとしたならば、きっとどこかで思わぬブレーキがかかってしまう。
しかし、誤解を恐れずに言えば、そのブレーキこそが、時に人生においては必要なのです。立ち止まって、何にもしないという一見、無駄と思われる時間こそが、実は、次の一歩を踏み出す大きな力になる。だから、きっと大丈夫。人には悩みや苦しみはつきものです。そんな時、人生には一分一秒たりとも無駄な時間はないと信じていれば、いつか必ず見失ってしまった自分を取り戻すことができる日が来るでしょう。
「あッつぅぅーーーっ!!」
この言葉を何度、口にしたでしょうか。全国各地で記録的な気温をたたき出した今年の暑さといったら、いったい、どないなっとんねーん!と言いたくなるほど暑かったですね。
なんせ、プールの水が35℃を超えたというんですから、それは間違いなくプールというより、お風呂です。ですから、泳ぐというより、しっかり肩まで浸かってなさーい。という感じですね。
あと、駐車している車の中も大変でした。ご経験おありの方もいらっしゃるとは思いますが、ハンドルはもちろんですが、シートベルトの金属部分に触ろうもんなら、熱いのなんのって、きっと、おそ松くんのイヤミなら「シェーッ!」と絶叫したことでしょう。
この暑さは、少なからず他の生物にも影響が出たようで、例年に比べ蚊の発生が少なかったり、真昼間には蝉の声がなかったり、動物園の動物たちは日陰や水辺から離れることなくグッタリとして動く気配すらなかったようですし、そんな中、野外で仕事をする方々にとっては、まさに灼熱地獄の夏だったのではないでしょうか。
ある場所で私が、ふと見かけたのは、関西ナンバーの引っ越し屋さんが作業着を汗でびっしょり濡らしながらもトラックの荷台から2人組で大きな荷物を降ろしているところでした。中に何が入っているのか、かなり重たそうな荷物らしく、抱える直前に2人が交わした言葉は「これ、重いでぇーっ!」「ほんま、ごっつ重いでっ!」彼らにとってこれが本当の「夏の思い出」になったことは言うまでもありません。
先日、書道家の武田双雲さんの講演を聴く機会がありました。なるほどそうか!という話でしたので紹介させていただきます。
人は生きている中でいろんな思いや感情を抱きます。例えば、子育てが大変と思っている人がいらっしゃるとすれば、その方には、どんどん大変なことが押し寄せてくるそうです。
また、仕事が忙しすぎて、体を休める暇もないと思っている人や仕事がつまんなくて面白くないと思っている人には、次から次に忙しい仕事や雑用が押し寄せてくるというのです。
逆に、子育てが楽しいと思えば、楽しいことがたくさんやってくる。仕事が楽しいと思えば、どんどん楽しい仕事が舞い込んでくる。これを「引き寄せの法則」というらしく、要するに、その人の心構えがどうかによって、またどのような所作で物事に臨むかによって引き寄せるものが決まってくるとのことです。
自分の感情は自分が引き寄せているのであって、決して周りの人のせいではない。自分の世界は自分が作っているのであって決して他人ではない。何か嫌なことがあると、他人のせいにしたりすれば、その人にはどんどん嫌なことが巻き起こっていく。怒りっぽい人には、どんどん頭に来るようなことが起こる。なるほど‥。思わず膝を打った自分がいました(苦笑)
自分の人生をどのようにクリエイトしていくか。そのすべては、その人の感情を表す「心構えと所作」であって、何が起こってもどっしり構えて、すべてをプラスに捉えることが出来れば、きっと楽しい幸せな人生が送れる。私も出来る限り実行したいものです。
言うまでもなく、人は人によって育てられ成長していきます。育てる人はさまざまですが、幼稚園や保育園においては、子ども達の前に立つ先生が、その役目を担っていると言えるでしょう。
子どもは十人十色です。金子みすずさんではないですが、「みんなちがってみんないい」のです。そして、さらに私は、「世界にひとつだけの花」である子ども一人ひとりが「みんな育ってみんないい」そんな園でありたいと常日頃から思っています。
そのために先生はどうすべきか。先生に求められる気質とは何か。いろんな考え方や捉え方があるとは思いますが、私はこう考えます。まずは、園という集団生活の中で、子ども達と真剣に向き合うこと。視点は「全体」と「個」のふたつです。集団という「全体」を見ながらも一人ひとりという「個」を大切に子どもと真剣に向き合う。一見難しそうに思われますが、人を育てることにありったけの情熱を傾けることができれば可能なのです。
教育学者の森信三先生はその著書「修身教授録」の中でこう述べています。「教育とは子どもの心に火をつけること」そのためには「教師自らが燃えないと火はつかない」けだし名言ですが、別の言い方をすれば、「成長する」ということに、夢や喜びや感動をもって、子どもと共感共鳴する言葉や態度をどれだけ子ども達に示せるか。と言うことでしょう。
「教育はロマン」です。子どもと共に笑い共に泣き共に感動し、子どもの成長と共に自分も成長する。未来を担う子ども達の成長をロマンたっぷりに語れる先生がたくさんいる。そのような園づくりが私の理想です。
「奮」という字は「発奮する」「奮闘する」「奮い立つ」などの言葉に使用される漢字です。人が何か事に当たる時、冷静沈着な態度はとても大事になります。なぜなら、焦ったり、イライラしたりすれば、気が動転して、事を仕損じる結果につながる可能性が大きいからです。何が起こっても動じない。まさに、泰然自若な態度は、リーダーに求められる大切な資質のひとつと言えるでしょう。
しかし、わたくしは思うのです。思いもよらぬ挫折を感じたり、逆境に立たされたり、苦悩のどん底に落ちた時、「負けるもんか!」という気持ちで、物事に立ち向かっていく勇気も必要だと思います。なぜなら、生きる上での「底力」はそのような思いから湧いてくるような気がするからです。
その昔、「生きる力」という言葉が、しきりに言われた時代がありました。その「生きる力」というのは、冷静の中にあるのではなく、沸々と煮えたぎるような感情、いわゆる情熱や熱意の中にあると私は思います。人は生きていれば、思い通りにならない大きな壁にぶつかることが必ずあります。そんなとき「当たって砕けろ」という気持ちで、自らを奮い立たせることが出来るかどうか。その気持ちこそが「生きる力」につながるのではないでしょうか。
ピンチはチャンス。逆風も振り返れば順風です。「無理」という字を「ムリ」と読まず「チャンス」と読む。押してダメなら引いてみる。あの手がダメならこの手がある。困難にぶつかったとき「奮」という気持ちをもって、事に当たれば、必ず道は開けると私は信じています。